人間は思いの主人であり、
人格の制作者であり、
環境と運命の設計者である。
【ジェームズ・アレン】
東日本大震災から、早くも1年が過ぎました。
今年も、3月11日はアメリカにいましたので、どんな慰霊祭等があったのかは存じませんが、私も被災者の一人として、被災地の方々の一日も早い復興と、お亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈りしたく存じます。
私たちが被災した、阪神淡路大震災からは既に17年という月日が過ぎましたが、未だに不思議な事に意識の上では被災者です。
もし、何かの犯罪に巻き込まれてしまうと、被害者になるのでしょうが、被害者が事件の解決後にも関わらず、被害者として呼称される事はあるのでしょうか。
軽微な犯罪の被害者なら、ある程度の時期を過ぎると、恐らくは被害者とは呼ばないでしょうし、重罪であっても、ある手続きを経た後には“元”被害者と呼ばれているように思います。
という事は、被害者には時限がありそうです。
ところが、被災者には“元”被災者という言い方はしないのは、何故でしょう。
そもそも被災者とはどんな意味があるのでしょう。
以下、ウィキペディアに掲載がありましたので、以下に引用致します。
----------ここから----------
被災者(Victim, Disaster victim)とは、災害にあった人(人々)のことである。
被災者とは、地震・台風等の天災や、事故・事件等の人災にあった人(人々)のことである。ただし、事件や事故の場合は被害者と呼ばれて、被災者と区別されることが多い。
因みに、被害者とは、刑事法学(刑法学、刑事訴訟法学)では、「犯罪により害を被った者」をいうそうです。
----------ここまで----------
私は法学部の出身でもありませんし、法律関係のお仕事をした事もありません。
従って、専門の知識は殆ど持ち合わせていないのですが、法律や法令関係の事を知らずに過ごす事も出来ません。
とは言え、大変その解釈は難しいと、感じています。
天災にあった人(人々)のことを、被災者と呼び、人災にあった人(人々)のことを被害者と呼称する…という単純明快なルールだと、大変理解しやすいと感じるのですが、事故・事件等の人災にあった人(人々)の事を被災者と呼び、事件や事故の場合は被害者と呼ばれるとすると、事故によって害を被った者の事をどちらで呼称すべきなのでしょう。
法律で、事故をどのように定義しているのか、調べないとなかなか埒が明かないようですが、その前に、事故という言葉の一般的な意味が何であるのかを、調べてみる事にします。
安易にウィキペディアに頼るべきではないと思うのですが、概略の理解には最適だと勝手に判断して、再び引用させて頂きます。
----------ここから----------
事故(accident)とは、思いがけず起こった悪いできごと。よくないことが起こること。
事故とは、一般的な用法では、予期していなかったのに、人のからだが傷ついたり生命が失われたり、あるいは物が損傷したり財産に損害が発生するような出来事のことである。
故意に損害を起こすことを事件と呼び、事故と区別する意味で用いられる場合もあるが、本来の事件というのは事故も含む広範な意味を持つ語であって、損害を起こすという意味だけで用いられる語ではない。
なお、痛ましい事故・事件の場合は、「惨事」とも称され、特に大きく悲惨な事故・事件の場合は「大惨事」とも称される。
----------ここまで----------
惨事や大惨事は天災でも使うようなので、益々訳が分からなくなって来ます。
一般認識としては、故意または能動的に市民生活を阻害したり、犯されるべきではない利益を侵害したりする事を事件と言い、過失または偶発的に起こる事を事故と言うが、事件という言葉に事故の要因も包含する事がある…という感じでしょうか。
事件と事故との境界線がどこにあるのかについては、私の理解力の限界を超越していますので、これ以上深堀するのは止めておきます。
他方、法律用語としての「事件」とはどのような解釈なのでしょう。
またまたウィキペディアを参考にさせて頂きます。
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法令用語としては、事柄・案件のこと。官公庁におけるある種の手続について個別の手続を「事件」と呼び、事件番号を付すなどして管理されることがある。住民票の請求、情報公開請求、許可申請、戸籍訂正申立て、損害賠償請求、犯罪捜査など、いずれも事件である。裁判実務上は、訴訟事件の略としても使用される。
日本語の「事件」の語は、「事柄」「案件」を表す語から構成されており、元来、犯罪性、騒擾性という意味はないが、犯罪性、騒擾性のある出来事の意味で用いられることが多い。「殺人事件」「強盗事件」などは1と2の両方の意味を持つことがある。
事故でも社会的な影響が大きいと事件と呼ばれることがある。
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では、法律用語で「事故」とは、どのような解釈なのでしょう。
内閣法での事故とは、業務の執行の支障となるような出来事のことである。(内閣法9条)
【出典:Wikipedia】
事件にしても、事故にしても、その語源とは随分かけ離れた意味だったようです。
本質的な意味と違った認知が進んでいるという事なのでしょうね。
このような事情があるため、事故と事件との境目があやふやでも、仕方がないのでしょう。
業務の執行の支障となる出来事の影響力が社会的に見て、大きな規模になると事件と呼ばれるという事で、何と無く納得するのが正解なのでしょう。
因みに、英語では被災者も被害者も同じ“Victim”という言葉で表現します。
さて。
被災者と被害者の概念を明確にするべく、語源を探したのですが、チョッと回り道をしてしまいました。
本質的な意味や、通念とは少し違うかもしれませんが、今回は、天災を直接経験した人々の事を「被災者」と呼称させて頂く事にします。
私は17年前に、阪神淡路大震災を経験した被災者です。
昨年3月11日の東日本方大震災を、とても他人事だとは思えません。
これはやはり、過去の震災によって自身が体験した事が、意識ベース領域に常に滞在しており、その経験がニュース等を見る度に、フラッシュバックして甦って来るからだと、勝手に想像しております。
私が被災した時には、水もガスも電気もなかなか来ない状況が続きましたが、雨露をしのぐ場所は確保されていましたし、食べ物も飲み物も、更にはビールもありましたので、知己を頼る事も殆どせずに、ほぼ自活して生活する事が出来ました。
従って、私が貰うと、本来必要としている方々に届かないと思っていましたので、支援物資も炊き出しもお風呂も配給も全てお断りし、一度もその恩恵に浴す事はありませんでした。
たとえ被災者であったとしても、冷静さと自分らしさを失いたくなかったのです。
ところが、これはあくまでも私の場合です。
被災地の現状は、現地に行かなければ分かりません。
そこで、震災後1年を経る直前の3月4日から、私の所属している団体のボランティア活動を実現すべく、仙台市を訪問させて頂く事にしました。
目的は、視察ではなく、交流活動です。
対象は、大人ではなく、子供たちです。
行程は、空路ではなく、延々陸路です。
昨年「被災地児童夏休み招待プロジェクト実行委員会」が、神戸市教育委員会を事務局として発足しました。
当該委員会が、昨年8月1日〜4日の3泊4日で仙台市立岡田小学校の6年生40人を神戸市に招待しました。
子供たちは神戸市に滞在中、神戸市の施設をはじめとして色々な場所を訪問し、神戸市の小学校生との交流も行いました。
大変喜んでいたそうですが、子供たちの記憶が新しいうちに、再会を果たしてあげたいと思い、お節介プロジェクト(ボランティア)を発動させました。
タイトルは“がんばろうキッズ〜インターネット交流〜”です。
私が所属しているその団体は、神戸市が事務局をして下さっている地域におけるICTの利活用を促進する事を目的にしています。
産業界、役所、学校、個人等が会員の団体です。
その団体の中に、幾つかの委員会と、幾つかのワークショップがあり、私は、子供たちの交流活動のお手伝いを目的にした、委員会のリーダーを現在拝命しております。
この委員会の発足は2000年ですので、12年以上続いております。
今に至るまで、オーストラリアや中国を対象に、国際交流のお手伝いを続けて来ましたが、今年の活動は震災繋がり、被災地繋がり、そして当該委員会を発足させた方が、2004年のスマトラ沖地震の津波でお亡くなりになられましたので、津波繋がりでもあります。
プランの起案後は、メンバーによる話し合いもどんどんとヒートアップし、飛行機では現状がわかりにくいので、車で行くべきだ!
お金ではなく、現物をプレゼントした方が、子供たちは喜んでくれるはずだ。
交流は、インターネットを活用するので、NTTさんに協力して貰えないだろうか。
メディアにも協力して貰って、仙台市の頑張る子供の姿をこちらに伝えて貰えないだろうか。
それら全て採択して、企画はアッという間にまとまりました。
子供たちへの支援は、私の知己を頼りました。
何の見返りもお約束出来ないのに、大変多くのご提供品が集まりました。
友情に感謝です。
人は志に共感すると、確実に呼応して下さるのかもしれません。
車は、ワンボックス型のレンタカーを借りましたが、荷台は隙間無くご提供品で埋まりました。
片道900キロを超えますが、今回は4名で交代に運転するので、気分的に楽チンです。
NTT西日本さま、NTT東日本さまにご協力頂く事も出来、それぞれの学校に光ケーブルを敷設するだけではなく、会議システムまで貸与頂き、本当に有り難かったです。
朝、神戸を出発して、仙台市到着は当然夜。
ホテルにチェックインして、翌朝に備えます。
ホテルの予約も、ネットで簡単。
便利な時代になりました。
翌日は、状況視察及び交流先の小学校へ、事前訪問及びテスト。
コッソリと子供たちへのお土産の準備。
夜には、宮城県のICTの団体への表敬訪問並びに交流。
仙台市は震災の痕跡もなく、被災地と呼ばない方が良いと感じました。
そして、交流活動本番を迎えます。
子供たちの緊張した面持ちが、交流活動が進むに連れて徐々に解れて行くのが、我々への最高の喜びでもあり労いでもあります。
今回の交流では神戸に来た経験を持つ6年生だけではなく、5年生にも参加して貰いました。
今回の交流活動を通じて仙台市の子供たちに、神戸への思いの種を蒔きたいと思ったからです。
その種が芽吹き、来年の交流活動で花を咲かせたいと思ったからです。
両方の小学校の校長からも、来年度の交流への協力を約束して、今年度の活動を終えました。
子供たちの輝くような笑顔と挨拶と、来年も再会出来るかと思うと、今からとてもその時が楽しみです。
他方、現地の状況は、未だ問題が山積しています。
私たちが目の当たりにしたのは、仙台市から車で30分程度の範囲内なので、全てを見て回った訳ではりませんが、それでもその悲惨な状況は十二分に伝わりました。
仙台空港に程近い、閖上(ゆりあげ)という港町を訪れました。
笹かまぼこ屋であった“佐々直”の社屋が、雪で真っ白に覆われた大地に、ポツンと佇んでいる映像は、多くの方に津波の凄さを理解するに十分なインパクトを与えた、その場所です。
嘗て、そこに町があった事を示す、唯一とも言える存在が佐々直の社屋なのです。
仔細に観察すると、かすかに雪の間から覗く土台を発見する事も出来るのですが、広大な台地に殆ど何も建っていないのを目の当たりにすると、津波の壮絶な威力を恐怖感と共に実感させられます。
津波が流した家屋等の瓦礫の撤去は、日本全土が協力しないと進まないのは、現地に行ってその規模の大きさを実感しない限り、仕方のない事なのかもしれません。
人は、客観的な情報伝達だけで現地の状況が理解出来る程に、想像力が豊かではありません。
復興までには、長い月日が必要だという事実認識は、国民全員にとって必要な事です。
ハードとソフトの復興、即ち環境整備と心のケアの両方が不可欠なのですが、今回の震災の規模では地方だけの問題として捉えると、永遠に問題の解決は出来ません。
阪神淡路大震災の時がそうだったように、先ずは市民生活に不可欠なハード面での復興を国や県、市等が中心になって推進し、その後徐々に心のケアを市民の協力も得ながら推進して行くのが最善の策だと思うのですが、今回はハード面の復興もままならぬ状況で、心のケアがおざなりになってしまわないか、少し心配です。
心のケアには、国民が被災地の方々の事を決して忘れていない事を、被災者の方々に意識して頂くために、大規模なイベントも必要でしょうが、市民レベルでの息の長い交流活動やボランティアを機能させないといけませんね。
東北地方の最大規模の企業は、東北電力だそうです。
関連会社(60社)を含めると3万人程の雇用があるそうです。
更に、東北地方で1万人以上を雇用している企業は、他に1社もないのだとか。
今回の震災で復興が進まない理由の一つが、福島県の原発の問題であるのは、紛れもない事実ですが、一方で、東北地方最大規模の企業が東北電力という皮肉な現実と対峙して、復興を積極的に推進するためには、民間レベルではなく国レベルでの取り組みが不可欠でしょうね。
更に、最後に紹介させて頂きたいのが、現地の方がポツリとこぼした言葉です。
記憶を辿って記載しますので、言葉が違っているかもしれませんが、ご容赦下さい。
“阪神淡路大震災の時には、町が全焼して大変だったと聞きましたが、消失したのは家屋だけなので、再建も早かったでしょう。我々は津波によって被災し、被災した土地が被災地認定されたので、元の場所に家を建てる事が出来ないんですよ。”
被災者として東北地方の方々と共に、一刻も早い復興に向けて少しずつではありますが、永続的な活動を続けて行きたいと思い、ここに小さく宣言させて頂きます。
ボランティアを行った団体である“地域ICT推進協議会”(通称:COPLI)のホームページ