2011年12月31日

“Emotional Marketing”

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人生の中で、今が一番いい。
でも五年後、十年後にも
今が一番と言える人生になっているか。
そのために僕は、毎日
『楽しさ』と『ときめき』を追求し、
夢を語り続けています。
【北原 照久】



物凄く個人的な事なのですが、私は高校時代よりずっとバイクに乗り続けております。
私がバイクに興味を持ち始めたのは、かなり小さな頃からなのですが、その影響の源泉はやはり父親が乗っていたからだと思います。
バイク黎明期には、アメリカ大陸を駆け抜けるバイクに憧れた日本人も多く、中小規模の会社も数多くバイク製造会社として名を連ねており、今とは違い、相当な数に上ったと聞いております。

アメリカのハーレーやイギリスのトライアンフやドイツのBMWが最高峰のバイクとして君臨し、それらのメーカーに追いつけ追い越せと、メグロや陸王といった伝説的な会社も誕生し、魅力的なコピーバイク(?)を世に送り出していました。
メグロは現在のカワサキと合併し、幾つもの名車を誕生させました。
その一台が、W650というバーチカルツイン(直立並列2気筒)の欧州テイストのバイク。
キャブトンマフラーというコブラのような形状をし、独特の音を発する存在感の大きなバイクでした。
そのバイクを父が暫く乗っていたのです。
今とは違い、ヘルメットの着用の義務もなく、小学校の夏休みに宝塚までW650の後ろに乗せて貰って、短いながらもツーリングに連れて行って貰ったのを、今も鮮明に記憶に残っています。
その後、父は体調を崩し、暫くはバイクから遠ざかっていたのですが、私がバイクに乗るようになってから、逆に刺激を受けたのか、急にBMWのバイクを買うと言い出し、ある日本当に購入して参りました。

父は、内臓の病を罹患していたのですが、懇意にしているバイク屋の方に、父に対して心配だからとバイクから降りるように言わないようにと、釘をさされていました。
バイクに乗るという楽しみを取り上げてはいけない、という理由と、バイクに乗るんだという気持ちを取り上げてはいけない、という理由からです。
身体はどんどん小さくなっていき、大きなバイクに乗るのは余りにも危険に感じるのですが、多分そんな事は乗る方が傍よりも何倍も感じている筈。
他者に怪我でもさせたら…という心配をするのも、他者を使って説得しようとしているだけ。
チョッとした段差にも、バイクを支える事が出来なくなり、日に何度も立ちゴケする自分の姿を見られたくなかったのか、こちらが進言する前に自然にバイクに跨るとは言わなくなりました。

父が亡くなってからも、BMWの設計哲学に惚れて、ずっとBMWを乗り継ぎました。
3気筒、4気筒、2気筒のバイクに乗り継ぎ、4気筒と2気筒のバイクは乗らなくなってもいつか整備して、乗ろうと保管していました。
ところが、最初にBMWが我が家にやって来てから20年経った頃から、その哲学に魅力を感じる事が少なくなり、日本製のバイクに乗りたくなり、スズキのバイクを購入しました。
あくまでも私見ですが、バイクは自動車程には古いバイクも古さを感じないので、長く乗り続ける事が出来るように感じますが、それでも20年の差は驚くべきものでした。
最初は乗り方が分からずに、怖々接したものです。
我ながら情けない状態でした。

20年の間に、走る・曲がる・止まる、のレベルが何倍にも向上していたのです。

これはショックでした。
そしてこの体験が、BMWから気持ちが益々遠ざかって行く事になりました。
そして、二度と整備する事もなく、どんどん朽ちて行きました。

バイクを売るなら…と盛んに宣伝をしている会社が幾つも登場し、売りやすい状況になっているのは分かっていましたし、今まで何度か問い合わせをした事もありました。
しかし、今まで25年(国産を購入して5年経ちますから)の長きに亘り、所有(というには放置し過ぎですが)していたバイクが手元からなくなる事を想像して、結局二の足を踏んでしまう…という事を繰り返していました。

そして、極め付けがスズキのバイクが余りにも高性能過ぎたために、命の危険を感じるようになって、別のバイクを購入してしまった事。
さすがに毎日乗り続けると、鈍って来た反射神経の事は明後日の方向に忘れて、早く走れていた時のイメージだけ甦って来たのです。
ある時、急ブレーキをかける必要に迫られたのですが、バイクは何事もなかったかのように真っ直ぐにスッと停車しました。
余りのストッピングパワーに驚くと同時に、自分の愚かさと加齢の現実を思い知ったのです。

そして、新しく今度はイタリアで製造しているヤマハのバイクを購入しました。
このバイクは、エンジンは古い設計なれど、車体は最新のテクノロジーで製造されています。
これが実に心地よい。
久しぶりに、ピッタリシックリと来るバイクに巡り合え、BMWのバイク2台とスズキのバイク1台と駐車場に4台ものバイクが鎮座する事になりました。
さすがに、これを我慢できるのは2年まで。
今年の年末までには、少なくともBMWの2台は売却しよう。
スズキのバイクも、誰か買ってくれる人がいたら売却しよう。

そう決めて、今月遂に複数のバイク買取会社に一括請求出来るサイトから申し込みました。

日程は、申し込みをした日から最低でも7日以上先に。
出来れば複数の業者に同時に来てもらい、高いほうから買うようにする。

それは、過去に資料請求した際に、やり取りして教えて貰った事です。
そして、6社に請求し、結局4社から返事があり、2社に査定に来て貰えました。

返事がないのは、中堅の買取会社でした。
最大手はさすがにスケールメリットからか、直ぐに連絡があったのみならず、こちらの希望する日程で一発オッケー。
二番手と思しきところは、かなり融通が利かない感じで、日程調整が当日になっても出来ずにお流れ。
そして中堅の会社から、最大手とほぼ同じ対応で、こちらの希望する日程で一発オッケー。

バイクの買取を経験して、値段がこれ程までに変わるのかと驚かされました。
一社のみだと、基本的に査定の基準額程度までしか支払って貰えないのです。
何故なら、オークションでもバイクは購入できるので、その際の基準となる査定額(これは毎月変動しますが、全国統一の価格です)以上出すのであれば、オークションで必要なバイクを必要な時に買えば良いのです。
ところが、複数の入札方式が2社以上の査定だと利用でき、値段がどんどん上がって行く可能性が高いのです。
更に、不動車の場合は、この傾向が殊更強くなるのではないかと想像しました。

私は今回、最終的には3台まとめて査定をお願いする事にしたのですが、想像していた以上の買取金額の提示がありました。
合算でするよりも、1台毎に入札した方が高い値段を提示して貰えます。

不動車であり、且つ5年以上も放置して、錆だらけの不人気車のBMWの直列4気筒のバイクでさえも、それなりの値段が付いた事には、正直驚かされました。
最終的には、キレイに整備され、私が受け取った金額の10倍以上の値段を付けて市場に並ぶのでしょうが、私には整備する事も販売する事も出来ません。
それを考えると、私が受け取った金額は当然納得すべき金額であり、整備し店頭に並んだバイクを誰かに購入して頂けるのであれば、それは大変光栄な事。
私のような年齢の、特にリターンライダーには、最新のバイクよりも20年以上前のバイクの方を好んで頂けるのかもしれない。
一人でもライダーがステキに道路を駆け抜けて下さり、次の世代のライダーが生まれる事を心より待ち望みます。
私は父がライダーだったので、自然にバイクへの興味が生まれましたが、バイクに興味を持つ若者が減っていると聞き、少し悲しい気持ちでおります。

更に備忘のために記載しますが、バイクの状態はかなり詳しく時間をかけて調べられます。
しかし、あくまでも基本となる査定額に基づいて判断されますので、改造していたりリペイントされていない限りは、さほど買い取り価格には反映されないみたいです。
因みに無料の買取額の上限提示額は、見せ掛けの金額なので何の判断材料にもなりません。

最終的にはそれぞれの会社の都合で全てが判断されます。

*買取に出向いたのなら、手ぶらでは帰りたくない。
*入札に負けたくない(負けたら手ぶらで帰らなければならない)。
*バイクの状態をチェックし終えた車体は、仕入れのリスクがオークションより低いため、オークション相場より高い金額でも買う(場合が多い)。
*上限金額の決定者は担当者⇒上司⇒上司と上がって行く。
*その都度、電話で相談し、最後は現場の判断。
*但し、最後は泣きが入ります。

プロと言えど、購買のプロセスではかなり感情の介入する余地が大きいようです。
これは、現場の方からジックリと伺いました。
だって、トータルで3時間以上お話ししながらの取引でしたから。

人間は最後は感情で動くもの。
私も3時間に亘り、ご一緒させて頂き、たくさんのお話しをさせて頂いた方に売却出来た事で、大変満足出来ました。
多分、その方々には二度とお目にかかる事はありませんが、共有した時間と共感した瞬間が人には何よりも大切なのでしょうね。

Emotional Marketingと言えなくもない。
かなり強引な結論でしたけど、やはり感情と時間は人との取引には大切なのだ、と痛感する事が出来ました。

皆様には、今年も大変お世話になり有難うございました。
来年も引き続きご愛顧のほど、宜しくお願い申し上げます。

皆さま、良いお年を!

Marketing Strategy/Emotional Marketing
posted by 辻村謙一 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年11月30日

“The 10,000 Hour Rule”

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バレリーナの稽古は、
技術を磨くことではなくて、自分を磨くことです。
終わりのない自分との闘い。
【吉田 都】



リクエストがあれば基本的にお断りする事なく、様々な場所に出張したりしながらお話しや講義をさせて頂いています。
とは言え、私が特別に上手な講義や講話を行える訳ではないので、毎日のように話が舞い込むという状況ではないのですが、どんなスピーチの達人も、生まれた時から達者であろう筈もなく、場数を多く踏みながらその実力に磨きをかけていった結果、そのステータスを獲得出来るようになる、というのは当然の事。
私は、自分の対話能力の才能の有無は分かりませんが、元々スピーチが上手な訳でも好きだった訳でもなく、小さい時から対話を重視した鍛えられ方をされた記憶も全くありません。
どちらかというと、内向的な性格で大人しい子供だったために、逆に人前でスピーチをするのが苦痛だった記憶は、十分に残っています。

私の父は、昔気質の昭和一桁代生まれの次男坊。
反骨精神と負けん気と勢いで生きたような人。
しかもそんな性格で、中学校の教員を死ぬまで勤めたために、わが子への教育方針も非常に熱心かつ極めてシンプル。

“スパルタ教育”こそ、最高の教育手法である。

そんな父ですからよく怒られましたし、よく叩かれもしました。
今の時代だとさしずめ、体罰だと取られかねない扱いもしばしば受けましたが、その経験があって今の私があるのは間違いない。
私は、父の事を恨むどころか、逆にひたすら感謝しております。
ところが、昔気質の人間は(というか私の父は)都合が悪くなると黙ってしまう癖があるので、言葉にしなくとも相手の気持ちを汲むべし…というどこか釈然としないリクエストを、しばしば強いられました。
従って、私の家庭環境に於いて、いわゆるノンバーバル・コミュニケーションによって成立する関係性が、極めて重視されたのも、私が話し下手になったのともしかしたら相関があるのかもしれない、と勝手に想像しております。

ともあれ。
過去を振り返るより、前を向いていかねば。

元々会話下手が経験値を重ねないと、家族以外の人様とのコミュニケーションがスムーズに取れる筈もなく、更に私は喋らずにお仕事が完結するいわゆる職人でもない。
職人だと、黙って唯我独尊的に誰もなし得ないようなレベルの高い作品なりを世に送り出し、弟子か何かを取った暁には“俺もそうしたように、お前も背中を見て学びやがれ…”とか何とか言ってもサマになるかもしれないけれど、職人以外が喋りもせずお仕事をする様は、憐憫の情を掻き立てられる可能性がかなり高そう。
何より、元来ネクラで内向的な私のキャラクター的にも、喋らずにいるのと友達も作れないだろうし、完璧に哀れみを感じさせる事は間違いなさそう。

人様との関係性があって初めて成立する社会構成員として、やはり言葉による会話は必要だと痛感する事が多く、社会に出てからの私にとって、コミュニケーションスキルの向上は、長年の懸案課題でした。
孤独が怖いのではなく、孤立を避けたいと考えました。
だから、必死になって自己表現について考え、そして実践し続けた毎日だったように思います。

そのような私が、今はコミュニケーションに関する講義をしているのだから、世の中何が起こるか分からない。

The New Yorkerのスタッフライターであるマルコム・グラッドウェル氏の著書“Outliers: The Story of Success”によって一躍注目を浴びたのが“10000-hour rule”「一万時間の法則」。
この著者によると、伝説的なプログラマーのビル・ジョイのような人や、ビル・ゲイツや、ビートルズのようなバンドの成功も、「一万時間の努力」と、いくつかのタイミングが支配しているのだとか。
努力なき成功はあり得ないという事を、具体的な時間軸を使って説明しているのですが、生まれ持った才能に磨きをかけなければ決して結果は得られない。
「練習をせずに天才的才能を発揮する」人も、「いくら練習をしても上達しない人」の両者も見られなかったという研究結果も出ているそうです。

同じ事を毎日毎日、飽きもせず続ける事が出来るだけで、それが一種の才能です。
私のような何の結果も出せていない人間は、その結果以前に継続出来る事自体が素晴らしい事だと思います。
このように多くの時間(一万時間)の練習や鍛錬を続けた上に、「偶然のタイミング」が重なった結果、有名な成功者になれる場合があるのですね。
「時代の呼び声」があった時に、ちょうど一万時間の積み上げを完了していて、その呼び声に答えられた人が「時代の寵児」になれるのだという訳です。
一万時間の積み上げを目標に、まだ決して遅くはない…と自分の気持ちを常に鼓舞させながら、頑張る事としようかな。
厚かましいか。

ところで、この本の題名である“Outlier”の和訳が“天才”というのは違和感ありますね。

辞書にもこのような記載があります。

outlier【名】
アウトライアー、戸外に寝る人、任地に住まない人、飛び地、分離物、本体を離れたもの、離層、離島
《統計》異常値
《統計》外れ値◆必ずしも異常値とは限らない
【出典:英辞郎 on the WEB】

和訳するとしたら、“出る杭”…というような日本語が相応しいのかな。
でも、確かに出る杭というタイトルだと、とても売れそうにないですね。
自分ならどんなタイトルをこの本につけるだろう。
チョッと考えてみるのも面白いかもしれないな。

さて、話を振り出しに戻します。

短期の非常勤講師契約をして、現在とある県立高校の講師をしております。
特別授業の講師なのですが、高校一年生を相手の授業です。
近年、教育界に於いても各セグメント毎に、最適化が精力的に行われております。
とかく批判の集まる文部科学省ですが、教育という非常に扱いにくい分野にも関わらず、様々な取り組みがなされていると、私個人は思っています。
時代の求める要求にも応えなければならず、他方国として時代を超越して目指すべき指針も示さなければならない。

私がこの度関与させて頂いた高等学校は、義務教育を終えた生徒を対象にした3年制(定時制は4年制)の機関ですが、主に職業等を念頭に作られた専門高校と、一般的な教育に重きを置いた普通高校とに大別出来ました。
ところが、近年、このような分け方が必ずしも現代社会に適しているとも限らずその中間的な総合学科と呼ばれる、科目選択の幅のかなり広い高等学校が平成5年の通達により明示され、平成6年に誕生しました。

•幅広い選択科目の中から生徒が自分で科目を選択し学ぶことが可能であり、生徒の個性を生かした主体的な学習を重視すること。
•将来の職業選択を視野に入れた自己の進路への自覚を深めさせる学習を重視すること。

以上の目的を念頭に、その教育成果の上昇と共に設置校も徐々に増え続け、平成22年度には338校の総合学科の高等学校が存在します。
総合学科の構想が当時の文部省内で起案された時から、「産業社会と人間」という科目の設置が提示され、総合学科の高等学校1年生の必修科目として制定されたのです。
その科目を担当させて頂いたのです。

総合学科の良い点は、多様な選択肢の中から自分の興味のある分野を選べる、多様性にあります。
従って、私のような非常勤講師が各分野から今回、6名参加させて頂いております。
大学の先生が3名、県の職員が2名、そして私の6名。

6つのクラスをそれぞれの講師が担当し、クラスの中から選抜したチームが、学年全体の集まる中で発表をします。
私は当然私のチームを応援します。
高等学校の1年生は当然社会に出た経験もなければ、多くの集まる前で研究成果の発表を行った経験も、あったとしても少しだけという状況の中、健気に懸命に頑張っている姿を見ると本当に微笑ましくもあり、来年以降の彼等彼女等の成長が楽しみです。
当たり前の事ですが、各指導者によって生徒たちの発表の質のバラつきが生じ、その差が想像以上に大きかったのには、本当に驚かされました。
冷静になって考えると、当たり前の事なのですが。

このような審査会の場合、審査員による結果のバラつきはさほどないのですが、今回に限っては、私の評価と他の講師の方の評価とが全く同調していないのにも驚かされました。

次回は、講師間で事前に話し合いを行ってから、生徒たちに関与するのが良いのではないかと思いました。

各講師からのコメントからも様々な事が学べます。
ある大学の准教授から「世の中には、物知りの事を“はかせ”と“はくし”と二つの呼び方があるが、“はかせ”は単に知識が豊富な人の事。“はくし”は尊重すべき対象を意味するので、皆さんには“はくし”を是非目指して欲しい。」というコメントがあったのですが、何が言いたいのか私には意味が分かりません。
大学の世界では、このような“専門用語”が通じたとしても、高校生に果たしてその例え話が通じるのだろうか。
そんな事を言っても、生徒たちが一万時間の練習をしようという気には、きっとならない。
未来ある若者たちが将来への夢を持って、果敢にもあらゆる分野に挑戦を繰り返し、産業社会で生き抜く人間となるための、希望を与えるための講義を行うのが、我々講師の務めの筈。
講義を受けた生徒たちが、よし、この分野で生きて行こう…と決断を行う事が出来、目標に向かって我武者羅に突き進んでいけるようにと、生徒たちを送り出すためのゲートウェイであるべきなのに。
もう少し相手の事を考えてコメントすべし…と、僭越ながら思います。

勉強すべきは、子供たち以上に大人たちですね。
私ももっと勉強してもっと経験を積んで、より良いお仕事が出来るように頑張らねば。

一万時間を迎えた時に、私がどのような状態にあるのかが肝心。
目標と目的をしっかり見据えて、不断の努力を重ねる事にしよう。


Outliers: The Story of Success : Malcolm Gladwell
posted by 辻村謙一 at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年10月31日

From Barrier Free to Barier Value

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希望を抱かなければ、
本質的な意味で行動者になることはできないし、
行動を起こす根源的な勇気も湧いてこないであろう。
希望と勇気は精神的な血族なのだ。
【小野 浩三】



バリア・フリーという言葉も、随分と社会の中に浸透したようです。
しかし、言葉が定着したとしても、その概念が浸透しなければ余り意味はなく、概念が定着して始めて活動へと繋がって行くのでしょうね。
バリアをフリーにする事は、その利便性を享受する立場になって始めて、恐らくは有難さや意義が理解出来るもの。
その立場になるまでは、意識する事も殆どないのが悲しいかな、現状でしょう。

身体に障害(最近では障碍や障がいと記載する事が増えましたが、ここでは敢えて障害)の無い方であっても、加齢によって足腰が弱くなると兎角、チョッとした段差等にも躓く事が多くなり、バリアがフリーである事の有難さを、実感する事になるのでしょうね。

階段を上るのも、嘗てとは違い随分と骨が折れるようになった私ですが、体力的な要因によって上る事が辛くなった事と、物理的に介助等がなければ上る事の出来ない事とは、天地ほどの差があるのは理解できます。
しかし、本質的に身体の不自由な方々が、どれ程不自由を感じていらっしゃるのかは、分かるはずもありません。

先日、現役の男性大学生から、体験談を伺う機会がありました。
彼は、生まれつき骨が弱く、歩くという行為の経験を殆どせずに、車椅子の生活を送る事を余儀なくされています。
紆余曲折を経ながら、現在は恐ろしく前向きに生きています。
自分の立場のような人たちのお役に立ちたい…という思いを現実のものとすべく、学生ながらも起業して社員を雇用している社長業も兼務しているのです。

その彼が、22年間の経験を通じて感じたり体験した事を披露してくれました。
このような素晴らしい若者と出会うと、物凄く嬉しくなると同時に我が身を振り返り、彼と同年代の頃の情けない生き方を思い出し、とんでもなく恥ずかしい気持ちになります。
ところが、上手く出来ているもので、歳を重ねると厚かましさを十二分に身に付ける事が出来ますので、これでイイノダ…とか何とか誰聞かれる事無く呟いて、恥ずかしさに恐ろしく早い速度で蓋をする術を使う事が出来るようになったのです。
これは良い事なのだろうか…という疑問が浮かび上がったとしても、私は私に知らん顔します。

それはさて置き。

先ずは、バリア・バリューという言葉の披露から。
彼は、好むと好まざるとに関わらず、骨が弱い状態である事に変わりなく、バリアとは常に向き合わなければならないのです。
そのバリアをどのように定義するべきなのか。
彼の経験から、バリアをフリーにする事から一歩も二歩も進めて、バリアをバリューと定義する事が必要であると訴えました。
失礼ながら、22歳の若者の話しに、最初は然程期待はしていませんでした。
ところが、最初のバリア・バリューという発想に、早くも引き込まれるように聞き入ってしまい、気が付けばアッという間に予定していた時間を過ぎていました。

この発想は、我々にはとても出来ない発想です。
この発想を、彼はどのようにして獲得したのだろう…。
それを明確にすべく、彼の今に至るまでの経緯を、以下に簡単にご紹介させて頂きます。

快活な彼は、愛情に満ちた両親の寵愛を受けて、スクスク育ちます。
但し、最初に立ち上がった、否、立ち上がる事が出来たのが3歳の時。
それはそれは、感動的な瞬間だったそうです。

その後、小学校に上がってからも、骨の弱い彼は肝心な時に骨折を繰り返すものの、周囲の協力に支えられて、明るく学校生活を満喫していたそうです。
階段の上り下りもの際にも、彼の周りの友達が車椅子に乗った彼を、車椅子ごと抱えて昇降の手伝いをしていました。
彼が障害者であるという事を、彼のクラスメートは差別の因子ではなく個性として、学校に過ごす仲間の一人として包含していたのです。

ところが14歳の時に、あるクラスメートから掃除をサボった彼の事を、障害者だから仕方ない…という表現をされ、始めて障害者であるという現実と、向き合う事を迫られるのです。
多感な時期と重なり、その事実認知に激しく落ち込む事になります。

更に、中学校までは階段の上り下りは、車椅子ごと友達に抱えて貰っていましていたが、高校生になると、その姿を女の子に見られたくないという意識が働いて、学校に行けなくなるのです。

この頃、それまでの様々な経緯が重なり、彼もネガティブな精神状態になる事も多くなり、17歳の時、自殺を考える事も何度かあったのですが、入院していた彼は骨折防止のために、病室のベッドにギブスを嵌められており、起き上がる事も出来ずに、自害すら出来なかったのです。

その時、自分の無力さに起因する余りに悲しい現実に失望し、交際中の彼女に自殺宣言をしてしまうのですが、その後彼の身を本気で案じた彼女から、泣きながら電話がかかって来たのです。
病室への電話が禁忌である事は、お互い承知していましたので、電話があったのはこの時のみ。
彼の事を必要としてくれる人の存在が、彼から死ぬ意欲を失わせた。
逆に言うとその一本の電話が、彼に生きる勇気と必然性を与え、この時を境に少しずつ、生きる意欲が生まれたとも言えるのです。

一念発起した彼は、大検(高卒認定試験)を受けて合格し、大学を受検。
無事大学に合格し、念願の大学生活を送る事になるのですが、退屈で仕方がない毎日でした。
ここで彼が大学生活に見切りを付けるのではなく、自立を心掛ける事にします。
社会の仕組みを学ぶべく、ベンチャーの服のデザインをしたり売ったりしている会社でアルバイトを始める事にします。
ところが、ベンチャーの常で、24時間休みなしで働く会社でした。
彼も、身体的なハンディはあるものの、持ち前のガッツを存分に発揮し、その事務所の仕事を選り好みする事なく行い、殆どの仕事をマスターしていき、社会で生きていくための基礎力を身に付けていきます。
やがて、彼は自分でも会社を立ち上げていくだけの自信を得て、小さな会社を学生ながら設立させました。
3人で始めた会社でしたが、現在は7名のメンバーに恵まれて、心斎橋にオフィスを構え、順調に業績を伸ばしています。

障害=ハンデ?
障害=マイナス?
障害=不幸?
そうではない。
障害をバリュー(価値)と定義して始めて社会の機能となるのです。

彼の率直な感想として、障害があって良かったなんて、絶対に思わない。
当たり前ですよね。
障害がなければ出会えない事があるのは事実。
営業に行っても、100%覚えてくれる。
どのようにその属性を捉えるのかが大切だと説くのですが、この辺りに彼の凄さが垣間見えます。

障害=価値+強みであると定義していました。
さて、ここから障害を獲得していない我々が、何を学べるのでしょうか。

更に、外部環境についての説明も受けました。

大学に通う障害者の数は、現在6000人ですが、これは大学生全体のたった0.16%に過ぎません。
大学に在学するも、長期で入院をしている障害者のサポートが必要だとか。
この現状にも、新たに気付かされました。

障害者全体のたった5%しか就労が出来ておらず、7割が1年以内に退職してしまう現実。
規制による義務的な雇用ばかりが注目され、能力・教養が低い障害者の方が逆に就業し易い。

1級・2級の障害者手帳を保持している限り、成人になった後、毎月8〜9万円が生活手当て等として振り込まれる。
これが就業への意欲を剥奪したり、離職を促している現実もあるそうです。
そのような現状に憂う彼は、障害者を雇用したから売り上げが伸びた…という社会にしなければならないと力説します。
例えば障害者の特性を活かす事で、商品開発やサービスの向上に寄与すべく機能させる。
現在のライターは、片手で着火出来るように改良した結果生まれたそうです。
その利便性を障害者の方のみならず、普遍的に多くの方がその便益を享受出来ている現状を、更に共有する事が必要なのでしょうね。

アレグロという1本3000円以上もする高級タオルは、全盲の人達が開発しました。
この商品開発には、全盲の方の極めて鋭敏な手先の感覚を活かて、糸や素材を厳選したのだそうです。

また、アスペルガー症候群の興味関心と仕事が結び付けば、大きな成果を成し遂げる事が出来ます。
事実、同じプログラムをデバッグをする場合、アスペルガー症候群のプログラマーの方の効率は、健常者のプログラマーの1.4倍にもなるというデータがあるのだそうです。

バリアの存在をなくす事によって、社会性を向上させるのと同時に、経済効果を見込めなければならないのですが、彼はそこに常に視点を定めています。
高槻駅では3〜4千万円を投入してバリアフリー化したのですが、その結果、駅周辺に2億円の経済効果があったのだそうです。
それは障害者のアクセスが増加して、経済活動が活性化したたためだそうです。
障害のある方は、外出する環境や意識のバリアがなくなると、活動したくなるものなのでしょう。
考えてみたら当たり前の事ですが、そこに気が付かないのが我ながら、実に情けない。

彼の小学校の時の友達が、キャバクラで客引きのアルバイトをしていたのだそうです。
そのお店はビルの2階にあるのですが、ある時車椅子の男性に声を掛けたのだとか。
そのビルは車椅子が通れるような構造にはなっていなかったのですが、いざとなったら小学校の時にしたように、オブって階段を昇ればイイやと思い、思い切って車椅子の方に声を掛けたのだそうです。
すると、望外にその方が喜んでくれたそうです。
恐らく、一度も声を掛けてもらった事がなかったのでしょう。
我々は、出来ればそっとしておいて欲しい客引きの方の営業活動ですが、車椅子の方には違うように写っていたのですね。
結局その方は友達にオブってもらいお店で楽しくひと時を過ごし、気分良く帰られたそうです。
すると、それ以降そのお店には、車椅子の人がどんどんと来店するようになり、随分賑やかになったのだとか。

こちらの思い込みが、どれだけ現実と違っていたのか。
バリアはフリーにするべきものだという思い込みが、どれ程近視眼的だったのか。
彼はまだ若いのですが、その経験を通じた若く新鮮な感性に紡ぎ出された言葉に、大きな気付きと刺激を得る事が出来ました。

これからは、Profitとそれに纏わるBenefitというバリューを掛け合わせて様々な事象を鳥瞰すれば、少しは慧眼を以って物事を観察する事が出来るようになるのかもしれません。

因みにお話しをしてくれたのは、株式会社ミライロの垣内俊哉君でした。

株式会社ミライロのHP
posted by 辻村謙一 at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年09月30日

“DIGITAL NATIVE,DIGITAL IMMIGRANTS”

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現実を直視せず、未来ばかり追っているのは、
霧のなかを手探りで歩いているようなもの。
逆に未来へのビジョンを持たず、
目先のことにこだわっているのは、
ぬかるみに足を取られているようなものだ。
【ケン・ブランチャード】



“これからは、FACEBOOKが凄いらしい。”

そう聞いて、半信半疑でFACEBOOKのページを開設したのが、昨年の春の事だったと思います。
最初は、アメリカの方式が日本で定着する訳がないという意見が大半を占めていましたが、その声もアクティブ・ユーザー数の増加に歩調を合わせるよ うに、どんどん減少しているように感じます。
中でも、本名が前提であるコミュニティが、長らく匿名性の高さ故広がっていった、日本のネット社会で受け入れられる筈がないという、半ば決め付け 的な意見が大半だったように記憶しています。

確かにこの議論は、半分は当たっていると感じます。
しかし、ネット自体が、コミュニティ・ツールとして利用しやすくなればなる程、利用者の属性もそれに呼応して広がっているようにも感じます。

テレビのCMでも、初老のお爺さまやお婆さまと思しき方が、孫にメールが送る事が出来てにこやかにひと言。

“私にも出来た…”。

このレベルでは、いわゆるデジタルデバイドの解消には程遠い。
しかし、はじめの第一歩に対する苦手意識を低下するためには、目的は明確である方が良いに決まっているので、パソコンの購入への貢献は大きかった のかもしれません。

私のような者にも、毎日のように友達申請が来ます。
しかし、数を増やす事が目的であるのは、私のFACEBOOKを使う目的からは少し逸脱しますので、知己か近い将来お目にかかる可能性のある方に 限らせて頂いております。
因みに私がFACEBOOKを使う目的が何かと申しますと、決して高尚なる考えや方針がある筈もなく、友達との交流ツールとして使いたいという、至極当たり前の事。

私の知り合いの中には、同年代だけではなく様々な年代の方からのリクエストがあります。
高齢者の方からのリクエストも時々あり、FACEBOOKを楽しんでいらっしゃるご様子。
お仕事の現場からは離れて久しいその方々からの素敵な書き込みには、心より感服申し上げます。
デジタルの本質が何であれ、それを自分なりに楽しむ姿勢が大切なのだと教えられます。

人生の諸先輩方に比べると、私は未だ達観していないというか、余計な事を考えすぎるのかもしれません。

FACEBOOKを使ったのも然程早くはないが、さりとて遅くも無い。
使っているうちに、どうにも使い方がシックリと来ずに、一体FACEBOOKとは何なんだろう…てな事を考えてしまう。
そうこうするうちに、同名の映画が上映され早速観て見たりもした。
関連する情報が集まれば集まるだけ、余計に訳が分からなくなる。

使っているうちに、分かって来るものなのかもしれない。
そう思って使い始めると、頻繁に謎に出合ったり、不具合に遭遇してまたまた困ってしまう。
お友達の多くが、シッカリと目的を定められ、素敵なメッセージを書き込んでいるのを見るにつけ、私の足踏み状態が情けないと感じる。

どうしてもこの状態を打破したくて、今に至るまで何度かFACEBOOKセミナーにも足を運んだ。
しかし、一度も私の悩みを解決してくれるセミナーには、残念ながら出会う事が出来ずに今に至っている。

私のFACEBOOKの使途は、友達との繋がりから派生するネットワークを通じた交流。
社会の構成員でもある各位が、企業活動や社会活動と連綿と繋がっているのも理解出来る。
FACEBOOKを、企業活動にも有用に使えるようにならないと、本質的にその機能を全うした事にはならない、という事は理解出来ているつもりです。
しかし、SNSをC to CからB to C to Cへとその対応を自然に且つ有機的に広げていくという事への理解が、どうにも進まない。

デジタル時代を生きている若者ほど、感性がフレッシュでないので、どうしても理屈で考えてしまう。
更にデジタル時代の影響を受けずにお仕事の現場を去られた方のように、潔い判断も出来ない。
私くらいの年代が陥り易い状態なのかもしれない。

デジタル時代を築き上げた、ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、ティム・バーナーズ=リー、エリック・シュミット…は1955年生まれ。
ポール・アレン、スティーブ・バルマー、スコット・マクニーリは1953年〜1956年生まれです。
何故同じような年代の人ばかりが、パソコンの黎明期には活躍しているのか、非常に不思議でした。

マルコム・グラッドウェル氏の分析によると、1975年当時、大学を卒業して数年がたっていた人たちは旧世代に属するしかなかった。家を買ったばかり、既婚、もうすぐ子供が生まれる...今の仕事と将来の年金を捨て、397ドルのコンピューターキットという夢物語にかけるなどありえない。逆に若すぎても、革命に乗り遅れてしまう。
当時20歳か21歳、つまり1954年か1955年に生まれた人がハイテク界の巨人になる大きなチャンスを手にした」と。
「スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン」(カーマイン・ガロ著日経BP社刊)より

随分前の事になるのですが、NHKスペシャルという番組で“デジタルネイティブ”という言葉によって、子どものころから、インターネットを「水」や「空気」のように使いこなしてきた世代の事を紹介していました。
情報の豊富さやアクセスの容易さのみならず、真贋の見極めや解釈の問題等々、インターネットを「水」や「空気」のような存在として捉えている年代と、我々のように概念から入らなければ使う事も出来ない世代との違いは、隔世の感がありそうです。

米Gartner Research、シニアバイスプレジデントのPeter Sondergaardにより命名されたそうですが、生まれながらにITに親しんでいる世代をデジタルネイティブと呼称するのに対して、IT普及以前に生まれてITを身につけようとしている世代を、デジタルイミグラントと彼は呼んでおります。
ピーター氏によるネット関係の情報には、非常に多くのヒントが含有されており、改めて多くの事に気付かされます。

デジタルネイティブと呼ばれる世代の特色としては、「現実の出会いとネットでの出会いを区別しない」、「相手の年齢や所属肩書にこだわらない」、「情報は無料と考える」などの特徴があると指摘され、インターネットオークションなどでは購入にも売却にも積極的な層であるそうです。
また、更に近年新世代が誕生し、物心ついた頃から携帯電話やホームページ、インターネットによる検索サービスに触れてきた世代を「デジタル・ネイティブ第1世代」、ブログ、SNS、動画共有サイトのようなソーシャル・メディアやクラウドコンピューティングを使いこなし青年期を過ごした世代を「デジタル・ネイティブ第 2世代」と分類する意見も生まれました。

これ程の違いを生み出した、コンピュータやネットワークという存在が今後、更にどのような変革を我々に齎すのであろうか。
また、今後どんどん生まれて来る新しい世代の人々が、このインフラを使ってどんな世界を構築しようとするのだろうか。

関係ない…と捨象するのは簡単ですが、私の知り合いの方のように、先ずは使って楽しんでみるという姿勢こそが大切になって来るのではないかと想像します。
何故なら、もう我々では発想が出来ない程に、あたかもアメーバのように、多様化細分化が進んでいるように感じるからです。
いちいち定義付けから行っていたのでは、話しにならない。

自分自身の加齢を改めて冷静に認知し、先達から学ばせて頂く必要があります。
また、同時に新世代の人たちからも学ばせて頂く必要もあります。

デジタルネイティブの世代の陳腐化は進むでしょうが、幸いデジタルイミグラントはいつまでもそのままの姿で存在し続ける事が出来ます。
でも、これって安心して良い事なのかな。

謙虚な姿勢を忘れずに、学び続けたいと改めて思いました。

今年の秋は、読書の秋と決めて過ごしてみる事にしようかな。


NHKスペシャル
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2011年08月31日

“Post-Traumatic Growth”

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成果をあげることは一つの習慣である。
習慣的な能力の集積である。
習慣的な能力は修得に努めることが必要である。
【ピーター・F・ドラッカー】



3月11日の東日本大震災発生から半年近く過ぎつつあり、被災者でない方々にとっては、震災に関する記憶も震災直後と比べようもない程に薄れつつあるのも事実。
その記憶を維持するためには、仕組みや意識及び何らかの働きかけが不可欠ですね。

被災地へ、復興活動のボランティアに行かれた方も多く、私も現地には行っていないものの、何人もの方々から現地の様子や事情を伺う機会があります。

阪神淡路大震災の時とは違い、広域に亘る被災地と津波による破壊、更には福島県の原子力発電所からの放射能漏れが重なり、被害は比較する事が難しい程に甚大です。
私はそれなりの年齢になりましたので、多少放射能の影響を受けたところで、それは運命として甘んじて受けなければいけない事…と、勿論自ら放射能を浴びに行く事はないにしても、冷静に受け止めるつもりですが、将来のある若者や子供たちには、絶対に浴びて欲しくない。

他方、ボランティア活動を強く求める被災地では、時間も体力もある若者の協力を求めていらっしゃるでしょうし、かと言って未来ある若者を手放しで現地に向かわせるのは、たとえ親でなくとも抵抗感がない訳ではないでしょうし。
今回の東北地方の震災の復興には、震災を忘れないための努力と共に、息の長い支援活動を続けていかなければなりません。
とは言え、私は未だ一度も被災地に足を運んでいないので、エラそうな事は何一つ言えないのが、恥ずかしながら現実ですけれど。

震災直後から、頻繁に募金活動への協力を依頼され続けていました。
最近は若干トーンダウンして来たようですが、私は申し訳ないですが、何度かの募金活動の末、募金を行う事を止めました。
募金活動自体を嫌っているからではなく、被災者へのお役に立っているという実感がないというのが、その一番の理由。
しかも、東日本大震災の物的被害額は16兆円から25兆円で、阪神大震災の被害額10兆円の2倍以上と、震災直後のデータですが政府により見積もられています。
私が仮に頑張って積極的に募金をしたとしても、私程度のサラリーでは募金額にも自ずと限度があり、完全に焼け石に水状態です。
それならば、現地のモノを優先的に購入する事で息の長い支援をした方が、恐らくは自然体で続ける事が出来ます。

現地へボランティアに行かれた方から、お話しを伺いました。
相応の日数分だけ確実に元の状態に戻りつつあるのでしょうが、それでもまだまだ復興したとはとても言えない状態にあり、現地の方からは、これを見て当時の様子を想像しないで欲しいと言われる事に、衝撃を受けたのだとか。
どれだけ被害が甚大だったのだろうか…と。

同じ日本人として、何とか被災者の方のお役に立てないものか。
そう思わない日はないのですが、私ごときに出来る事も限られていますので、せめてもの貢献として東北地方の商材を購入する事を繰り返す毎日です。

先日、ある私立の学校が所有している無人島を訪問しました。
この無人島をその学校が保有しているのには、当然理由があります。
今から数十年前に、当時のこの学校の教育上の責任者が、国際化教育や体育教育等の様々な取り組みを積極的に導入していたのですが、特に中学校生への人格教育を重んじて、そのための実践・鍛錬の場として、都会を離れた自然溢れる環境を求めて購入されたようです。

今も毎年、その中学校のある学年が、夏の時期に全員その島でキャンプを行っています。
男女の区別なく、電気もなく水道の水も運ばなければない、とても不便な場所で全員がテントでの生活をかなり長期間に亘り、過ごさなければなりません。
快適な生活に慣れた現在の子供たちにとっては、初めての不自由な生活と言えます。
暑くても、エアコンはない。
汗を掻いても、シャワーも殆ど使えない。
洗濯をしたくても、当然洗濯機もない。

更に、島には野生の狸が住み着いているために、余程注意をしなければ食事の準備中に食材を奪われ、その日の食事を食べる事も出来なくなる。
狸にとっても、食糧確保を行う事の出来る稀有な機会なので、必死です。

この島への滞在中には、教育活動の一環として、鶏を育てるプログラムも組み込まれています。
そして仕上げの段階になると、自ら挙手した何名かだけが行うのですが、この鶏を捕まえて足を縛り、頭を下にして吊るした状態で首を絞めて血抜きを行い、そして捌いた後でその鶏を食べなければなりません。
勿論、何故このような事をしなければならないのか。
その事について、直前に担当の先生から詳細な説明があります。

子供にとっては、最高に辛い経験でもあると思います。
何人もの子供たちが泣き出します。
何人もの子供たちが手で目を覆います。
何人もの子供たちが何故ここまでしなければならないのか、と目で訴えかけます。

そのような状態ではありますが、勇気を出して何人もの子供たちが、自らの手でその責務を果たします。

子供たちに、このような辛い経験をさせる事に対する、アレルギーのある方が多いのは存じております。
批判的な意見は、直ぐに集められるでしょう。
学校側も、そんな事は百も承知。

しかし、生きる事の意味をこれ程短時間に、これ程分かり易く、これ程インパクトの大きい方法で体験させる事の意味や意義は果てしなく大きいと思います。
生き物の命を頂いて、自らの命を永らえているという意識が、殆どなく育っている子供たち。
スーパーに行くと、キレイに捌かれたお肉やお魚が、部材として陳列されていますが、元の姿を窺わせるモノは一切ない。

子供たちにとっては、強烈な体験でしょうが、お食事の時間になると泣いていたのが嘘のように、ケロッとしています。
そして、当然感謝の気持ちは感じているようですが、美味しくそのお肉を食べています。
大人たちが思うよりも、子供たちの心は遥にタフで強いという事なのでしょう。
そして、学校側の思惑通り、大きく成長していたのではないかと思います。

PTSD(Post-Traumatic Stress Disorder)という、衝撃的な出来事で心が傷つき、様々な心身の症状が出て、日常生活に支障をきたす、いわゆる“心的外傷後ストレス障害”への認知は随分進みましたが、トラウマと呼ばれる大きな心の傷になるような、衝撃的な出来事の後で、むしろ成長することがある事が最近の研究で明らかになりました。
当然の事ですが、トラウマになるような衝撃的な出来事を経験した人の全てが成長する訳ではないのでしょうが、とても悲しいて苦しい、衝撃的な経験をした後では、その時には激しく傷ついたとしても、その後、むしろ素晴らしく人間として成長することがある事は、我々被災者は経験として知っています。
このような事象を、PTG(Post-Traumatic Growth)と呼びます。
和訳すると、心的外傷後ストレス障害に対して、“心的外傷後成長”と呼ばれています。

外傷後成長は、傷付いた人が元に戻る訳ではありません。
災害や事件の前よりも、肯定的な変化、成長が見られるのです。
それは、以下のような成長だそうです。

*自己の強さ(自信やスキル:技術、やり方)
*死への態度の変化
*人間関係の重要性の認識
*生に対する感謝の念
*ライフスタイルの変化
*希望(新しい事への関心)

人としての、深い面での成長と言えるでしょう。
大きな困難と心の傷を乗り越えたからこその成長であり、災害ボランティアなどの支援者との交流から生まれる成長であり、被災された方自身が誰かを助ける災害ボランティア的な活動をすることを通しての成長だそうです。

被災者のためのボランティアが実は、自らを成長させるために非常に有効に作用する(可能性がある)とは、何とも素晴らしい循環ですね。

被災地に思いを馳せるだけではなく、先ずは、勇気を出して行動してみる事が必要だと、離島で子供たちの姿を見ながら感じさせられました。
被爆は確かに避けたいのも本音ですが、お仕事が少し落ち着いたら、被災地に行ってみよう。
そう心に決めました。

子供たちに感謝です。
私も子供たちに負けないように、もっと成長しなきゃ。


“否定的事象の経験と愛他性” 東洋大学社会学部紀要第47-2号(2009年度):安藤清志著
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2011年07月31日

“High Context Culture”

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執着しなければならないのは結果じゃなく、
過程だ。
仕事のプロセスそのものに惹かれ、 
そこを一生懸命やりたいという一心があって 
はじめて結果をもたらす。
【ヒュー・プレイサー】


あくまでも私見ですが、今月、最も印象深かったのは、やはり“なでしこジャパン”によって達成された、FIFA女子サッカー世界大会の優勝でした。
兎角沈滞しがちな現状への、何よりの明るいニュースだと感じました。
キャプテンである澤穂希選手の活躍が、メディアによって頻繁に取り上げられていますが、今回の勝利は彼女のコメントにもある通り、個人の力ではなく、チームの力が齎したものである事は間違いないでしょう。
一人一人が戦うと勝てない相手であっても、チームになると勝てる場合もあるという事実は、我々の日常生活に於いても、様々な示唆があるように思えます。

チームの面々による活躍の凄さや、特筆すべきチームワークは確かに素晴らしいと思いますし、賞賛を惜しみませんが、私はそれよりも、監督の存在や監督とメンバーとの関係性に非常に興味が惹かれます。

そもそも、代表選手だとは言え、親子程に年の離れた二十歳代の女性から、親しげにニックネームで呼ばれる事にも驚かされますが、そのような呼称を使っているのは選手との距離感を近くしたいから、という理由からだけではなさそうに思います。
あのチームで勝つために必要だから…という事なのでしょうが、どのようなプロセスを経てその結論に至ったのだろう。

ある記事に、目を奪われました。

----------ここから本文----------

 21人の個性をまとめ上げ、日本サッカー史に残る快挙に導いた。佐々木則夫監督(53)は「尊敬できる選手を預からせてもらって、感謝している」と笑みを広げた。
 07年12月にコーチから監督に就任。準々決勝では、後半に投入した丸山が延長後半に決勝点を奪い、準決勝では先発起用した川澄は2得点を挙げるなど、控えのFWを使う采配が的中した。
 選手からは「のりさん」と呼ばれる。指導は厳しくも細やか。試合翌日の練習が象徴的で「控えの選手しか見ない。ちょっとしたしぐさを見逃さず、話し掛けて気持ちを測る」という。休養日には「あんまり見たくないでしょう」と選手と顔を合わせない。気配りの人でもある。
 帝京高から明大を経て電電関東(現J1大宮)入り。引退後は監督や強化普及部長を歴任した。遠征に親交のある漫談家、綾小路きみまろのDVDを持参。報道陣を笑わせるのはお手の物だ。家族は妻と1女。休日には「女房を愛せない者はなでしこを愛せない」と淳子夫人との晩酌と、愛犬の散歩で疲れを癒やしている。

http://www.daily.co.jp/soccer/2011/07/19/0004284501.shtml
2011年7月19日 デイリースポーツオンラインより一部抜粋

----------ここまで本文----------

監督が選手を尊敬するのは、このような偉業を果たした経験のない私にだって、少し理解出来ます。
世界戦を戦うに相応しい、壮絶な練習や戦いを経て来た選手と共に過ごしている訳ですからね。
しかし、試合翌日の練習では、レギュラー選手には一切目をくれずに、控えの選手に注力し続けるのには少し驚かされました。
チームに選ばれるだけで、相当の実力があるのは当然の事。
その中から、フィールドで戦えるのは一部の選手。
しかし、控えの選手との差は、恐らくはホンの少し。
その少しの差が大きいのだけど、差だけに注目すると不公平感は絶対に払拭が出来ない筈。
特にチームワークを大切にしなければならない監督業という職務領域に於いては、この不公平感の解消こそが、モティベーション向上へのキーワードになりそう。

あの人が選ばれたのは必然であり、私が選ばれなかったのも必然。
逆に言えば、あの監督が選んだのは必然であり、チームに必要な選択肢なのだ。
そうメンバーが思って、フィールドでの活動に注力出来たからこその結果。
そう思われなかったとしたら、誰だってフィールドで戦うために練習を重ねて来た訳ですし、出たいのは当然の事なので、足の引っ張り合いになるに違いない。
だからこそ、戦う選手にも控えの選手(もしかしたら、次の試合に備えている選手という意識なのかもしれない)にも、等しく目を配りながら現状掌握が不可欠なのでしょう。

凱旋帰国直後のインタビューでも、全てを見た訳ではありませんが、選手間へのリスペクトを求めていたように見えたのですが、勘違いではないと思います。

佐々木監督のこの姿勢は、女性だけのチームにだけではなく、あらゆる組織で参考に出来る事例だと思います。

佐々木監督は監督である以前に、教育者でありそう。
人を幸せにしたり将来への希望や期待を醸成するのは、教育の領域。
どうせ勝てない、という閉塞感を見事に払拭したのは、佐々木監督の教育的手法が結実したが故の結果。
詳しく調べた訳ではありませんが、全ての選手が世界戦で戦えた訳ではなく、控えで終わった選手もいたのでしょう。

しかし、世界一になったという実感を、全ての選手が獲得して、喜びを共有していたのが、実に印象的でもありました。
団体やグループに於いて、その構成員の全てがヒーローやヒロインになれる訳ではない。
そんな事は当たり前なのだけど、その当たり前の事が当たり前でないのが、今の学校教育(特に幼児教育)ではないか。
だから、主人公が何人もいるヘンテコな寸劇をお遊戯会でしても、誰も何も言えないし、言わない。
世の中の大切な仕組みや、それぞれの役割を教える最初のチャンスなのに、道理が廃れば無理が通る現状を体験させて良いのだろうか。
現状を変えるのは大変な労力と時間が必要ですが、少なくとも現状に対して多くの人がオカシイと感じる事位は、賢明な国民である日本人なら、容易に出来そうです。
現在の教育業界が最も必要としている手法を、佐々木監督の思想や行動様式から気付き、学べるのかもしれません。

教育心理学に於ける、有名な理論の一つに“ピグマリオン効果”という心理学的行動があります。
これは、教師や教育者の期待により、学習者の成績等が向上する事を言います。
(実は反対に、教師や教育者の期待がなく、学習者の成績等が低減する事を“ゴーレム効果”と言います。)
ピグマリオン効果については、人間は期待された通りに成果を出す傾向がある事の現れとされていますが、教師や教育者が期待すれば、全ての学習者の成績が向上するという訳ではありません。
教師や教育者は教えるという活動によって、学習者の学習をサポートしている訳です。
しかし、それだけでは勿論十分な学習効果が期待出来る訳ではありません。
学習者も自らが自主的に学習を行う必要があり、また自主的な学習がない限り、自らの成長の実感も薄い。
自主的な学習意欲が、更なる学習への意欲へと直結し、その成果として素晴らしい結論へと到達出来る可能性が生じるのは、当然の事。

情報のやり取りを、頻繁に行える現代社会に於いて、今の時代を生きる若者への教育手法もきっと多様化しています。
褒めて伸ばす手法は、相変わらず有効なのかもしれませんが、褒め方や褒めるタイミングや褒める状況が大切。
どのように褒めるかが、教師や教育者の手腕の問われるところ。
磐石な信頼関係を築き、期待をしながらも極めて精緻に状況を掌握し、その上で適切に対応する(多くの場合、褒める)事によって、更に大きな力を発揮するチームになる。
今回のチーム佐々木(勝手命名)は、それを実現したからこそ世界一になり得たのではないか。
アメリカやドイツのローコンテクスト(共通のコミュニケーションの基盤が少ない)カルチャーな競合国とは違う、ハイコンテクスト(共通のコミュニケーションの基盤が多い)カルチャーの日本人ならではの勝ち方を、極めて忠実にトレースした結果だとも言えそうです。

今回の、なでしこジャパンの活躍で、女子サッカー界にも世間の注目が集まり、彼女たちが子供たちにとっての憧れの存在となり、サッカーをする女の子が一人でも増えたら素敵です。
でも、同時に、佐々木監督のような監督スタイルにも、もっと注視し学ぶべきだと思います。

Edward T. Hall's website

posted by 辻村謙一 at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年06月30日

"Gross National Happiness"

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危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。

痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。

人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。

不安と怖れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。

成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。

【ラビンドラナート・タゴール】



食べる事に関しては、おそらく人並み以上に好きな事は、自他共に認める事実ですので、食に関する興味と関心も高い方だと思うのですが、決して詳しい訳ではありません。
しかし、人は食べる事なしに、長らくその生命を維持する事が出来ないのは、明白な事実だという事位は分かります。
また、どのような食事を摂取するのかによって、身体に及ぼす影響が少なからずある事も分かります。
加齢と共に食性が劇的に変化していくのが何よりの証左でしょう。

先日、NHKテレビに於いて、衝撃的な事実が放送されたと聞きました。
以下に抜粋して引用させて頂きます。

老化を遅らせ、寿命を延ばす遺伝子が見つかった。「サーチュイン遺伝子」というその遺伝子は、特別な人でなくても、誰もが持っている。うまく働かせられれば、平均寿命は100歳を超える。
サーチュイン遺伝子は最初に酵母で見つかり、その後、ハエ、ネズミ、サル、ヒト、と、地球上のほとんどの生物が持っていることが分かった。動物実験では、サーチュイン遺伝子の働きを強めることによって、寿命が20〜30%延びることが確認された。
「ミトコンドリアが出す活性酸素」「免疫細胞の暴走」など、老化をもたらす具体的な要因が最新の研究で分かって来ている。サーチュイン遺伝子がONになると、指揮者のように働いて、100近くの老化要因を抑える。その結果、肌、血管、脳など様々な器官が若く保たれ、寿命が延びるのだと考えられている。
この遺伝子、万人が持っているが、普段は眠っていて働かない。しかし、働かせる簡単な方法も分かった。さらにはサーチュイン遺伝子の機能を高める“長寿薬”も開発途上にある。
出典:http://www.nhk.or.jp/special/onair/110612.html

この夢のような遺伝子をどのようにすれば、働かせる事が出来るのか…。
実に簡単な事だそうです。
小食にすれば、その遺伝子が“目覚める”のだとか。
具体的には、通常必要な摂取カロリーを30%制限するだけで活性化させることができるとの事。
カロリーベースだと分かり難いのですが、腹6分目を目処にすれば良いという事でしょうか。
とは言え、主食や副食を考慮に入れず、お肉ばかりを腹6分目食べても、逆効果なのでしょうけど。
飽食の時代に生きる我々や、食いしん坊の私が食欲に打ち克つのは難しいのも事実ですが、取り返しのつかない状態になる前に、徐々に小食への準備を進めた方が、確かに幸せな老後が送られそうな感じがします。
欲深い私だって、折角この世に生を受けたのだから、出来れば健康に長生きしたいって思っています。

他方、江戸末期に日本の飛脚を見た外人が、彼らの健脚ぶりと体力に驚くと同時に、その質素な食事内容を知り、驚かれたそうです。
彼らの考え方の基本には、体力を獲得するには肉食が不可欠なのに、この細い身体の人たちは何故肉を食べないのにこんな事が出来るのか、彼らの常識で判断するには理解の域を超越していたからですが、自分たちの理論の正しさを証明するためなのかどうなのかは分かりませんが、飛脚に米の変わりに肉を食べさせました。
与えられた方はさぞかし嬉しかったでしょうね。
しかし、異文化間折衝がそう簡単にはいかないのは、今も昔も同じ事。
肉の摂取後数日を経て、肉を与えられた飛脚から、肉食では体力が持たないから粗食に戻して欲しい、との申し出があったそうです。
肉は内臓負荷が高く、やはり米を中心とした食事が日本人には適応しているという証拠なのでしょう。
近年、多様化した食生活に慣らされ過ぎているのか、肉を食べようがさしたる影響がないように感じてしまうのは、もしかしたら遺伝子のスイッチに大きな目隠しをしてしまい、消化器官を筆頭に必要な器官の感度が鈍っているからなのかもしれません。

昨年、“降りてゆく生き方”という映画と出会いました。
この映画は、映画館で上映をしない、テレビでも放映しない、そしてDVDとして販売する予定もない…という従来の映画とは全く違う考え方で、各地方のコミュニティを少しでも活性化させるために、映画上映の前にワークショップを頻繁に開き、テーマを十分知らしめた上で上映会を行うというスタイルを貫いている映画です。
上映開始は2009年4月なので、既に3年目を数える今でも、全国各地から大きな反響が寄せられています。
この映画の仕掛け人である森田貴英氏とKRPの樫野孝人氏が、ある映画を通じて知り合った事から、私もこの映画を知る事となり、と同時に森田氏を紹介して頂く事も出来ました。
森田氏は、酸いも甘いも味わった人でしか獲得出来ない、独特の感性の持ち主だとお見受けしました。
その森田氏が、この映画を作ろうと思ったきっかけの一つが、木村秋則氏の“奇跡のリンゴ”という本に出会った事。
木村秋則氏は、NHKのプロフェッショナルという人気番組に登場した事を契機に、一躍時の人となりましたが、誰も絶対になし得ないとされていた無農薬・無肥料でのリンゴの栽培に世界で始めて成功なさった方です。
小手先だけの改良農法でそれが実現出来る筈もなく、その苦労が半端ではなく甚だ大きい。
だからこそNHKも番組の中で、氏の取り組みを国民に紹介したのでしょう。
何年もの間、苦労に苦労を重ね、限界に何度もぶち当たり、遂に自殺をすべく死に場所を求めていた時に、大きなヒントと出会う事になるのです。
しかし、木村秋則ご本人はその苦労を全く感じさせる事のない、極めて穏やかな方です。
壮絶な経験をなさったこの方が、どうしてこのように穏やかで且つにこやかな表情でいられるのだろう。

木村秋則氏の作ったリンゴは、必要以上の栄養を与えないから根がどんどん地中に張って行く。ワインの味を左右するブドウを美味しく育てるためには、痩せた土地で育てる必要があり、そのような土地で育った美味しいブドウを使ったワインをテロワールといいます。このブドウと同じく、木村氏のリンゴも根が土壌中の様々な微量の元素を取り込み、香りや味が複雑で奥行きのあるものに育ったと考えられています。リンゴの大敵である台風にも木村氏のリンゴは、極めて強い耐性を有しているのも当然の事なのかもしれません。
6月18日に神戸にて、木村秋則氏の講演と素晴らしく感動的な“降りてゆく生き方”の上映という、実に贅沢な2本立て×2講演企画が実現し、私も微力ながらお手伝いさせて頂きました。
その関係もあって、出演の合間を縫って、ご本人とお話しの機会を与えて頂けたのは、何よりの幸福。
津軽弁丸出しで、常に笑顔でお話しになる木村秋則氏からは、成功した人特有のカリスマ性も感じさせられませんし、驕りや高ぶりは微塵もない。
テレビで見たのと全く同じく、穏やかでにこやかな表情で接して下さいます。
内容は、さすがにとにかく濃い話しが殆どですが、関西人にありがちな“どや凄いやろ”的な感じでもなく、常に笑いとオチが用意されている楽しいお話しばかり。
木村氏には歯がないのが(実際にはとっても小さな前歯が1本だけ残っているのですが)特徴的ですが、自分の歯の事ですら挨拶代わりに面白可笑しく茶化して紹介する程に。

私が今までに接した、その分野を極めた職人の方に共通する事ですが、極めて簡便な言葉を羅列して言葉として発しているのにも関わらず、結果として非常に意味深く感じさせられ、心にも深く刻み込まれる。
これは受け手の先入観ではなく、おそらくは伝え手の経験から獲得した説得力のなせる業。相手に与える威圧感は全くない代わりに、言葉に引き込まれて行く不思議な感じ。相手を説得しようとする意図が全くなく、とことん突き詰めた中から紡ぎだされるようにして生まれた言葉だからこそ、逆にこのような自然な説得力が生まれるのではないかと、想像します。

競争社会と言われて久しい昨今ですが、便利に安全に快適に上質にと右肩上がりの価値観を常に求められている現状に対して、私はさしたる疑問を差し挟む事なく過ごしていました。
しかし、今回の地震を契機に絶対に安全だと言われて、何等疑問にも思わなかったその安全性が、実は物凄く危うい状態だった事が露呈してしまいました。
安全性が担保されるまで電力供給も不安定な状態が続き、それに伴い人々は節電を求められていますが、暑ければエアコンに頼っていた当たり前だった現状が、如何に有難い事なのかを思い知らされる毎日です。
煌々と点る町の明かりが減光し、夜の街に輝くネオンが消えた瞬間に、活気があれほど喪失してしまい、消費活動を左右するという始めて知る現状にも驚かされた。

右肩上がりの価値観とは、実に危うい状態を担保に成立していたとも言えます。
また、人間の欲の声に耳を傾け過ぎていた結果だとも言えます。

現代社会に於いては、足りなければ外部調達する…といったような、足し算の発想だけでは判断出来なくなってしまったのかもしれません。
先のサーチュイン遺伝子を摂取すれば、長生きが出来るからと例えばサプリメントを摂取しようとするならば、その考え方は間違いなのでしょう。
遺伝子そのものではなく、遺伝子を目覚めさせる行為自体に意味と価値がある事を、認知しなければなりません。

我々日本人は基本的に農耕民族です。
文化文明がそれ程発達していなかった頃の我々の祖先は、天地自然の理が何であるのかを認知し、地球が何であるのかという認知を超越し宇宙や自然や生物との一体感の中で生活を営んでいました。
自然が何であるのかを認知し、支配するのではなく自然と共に存在し、自然の恵みに感謝し、そして祈ります。
個としての人間をお互いが尊重しながら、相互扶助の関係を築きながら生きていました。
農耕民族として、育てる事が生活の中にも当然当たり前にあった筈です。

木村秋則氏の言葉の中で、以下の言葉が心に沁みました。

「〜この花を咲かせたのは私ではない。リンゴの木なんだとな。主人公は人間じゃなくてリンゴの木なんだってことが、骨身に染みてわかった。それがわからなかったんだよ。自分がリンゴを作っていると思い込んでいたの。自分がリンゴの木を管理しているんだとな。私に出来ることは、リンゴの木の手伝いでしかないんだよ。失敗に失敗を積み重ねて、ようやくそのことがわかった。それがわかるまで、ほんとうに長い時間がかかったな。」

結果を急ぐ余りに、成果を求め過ぎていたのかもしれない。
今回の東日本大震災を経験した我々が学ぶべきは、結果を急ぐ事ではなく、もう少し俯瞰した長期的な視点で、事象や物事の判断をする必要があるという事なのではないか。
我々の感性のどこかに、育てる(育つ)という因子を埋め込む必要があるのではないか。
そんな事を感じさせられました。

1972年に、ブータン前国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク氏が「国民全体の幸福度」を示す尺度として“国民総幸福量”という考え方を提唱しました。
英語の記載は“Gross National Happiness”
その頭文字を取って“GNH”と表示する事が多いのですが、これは明らかに“GNP”に相対するアンチテーゼです。
“GNP”が金銭的・物質的豊かさを目指す指標であるのに対し、“GNH”は精神的な豊かさや個人が感じる幸せを目指すべき指標です。
個人の幸せ度をどのように測るのか、非常に興味深いのですが、ブータンでは政府が具体的な政策を実施し、その成果を客観的に判断するための基準にまで仕上げているのだそうです。
中国とインドの間に位置するブータンでさえ、1990年代からの急速な国際化の波が押し寄せて来ます。
自国民のために、ブータンで当たり前であった価値観を、改めてシステム化する必要があったそうですが、20年後の社会を予測して、この事を実現した意味や意義は非常に大きいと感じます。
1972年といえば、日本では高度経済成長期の末期。
田中角栄氏が日本列島改造論を発表し、日中国交が正常化したその年。
日本が繁栄を享受する事しか考えていない、そんなタイミングで国民の幸福度の総量を達成させるべく、政府の施策としたこのブータンという国の王様は、とても素晴らしく先見性があったと言えます。
因みに2007年に初めて行われたブータン政府による国政調査では「あなたは今幸せか」という問いに対し9割が「幸福」と回答しました。

イギリスのレスター大学の社会心理学者エイドリアン・ホワイトによって作成された国別の幸福度を表した世界幸福地図(World map of happiness)によるとブータンは8位。
どのような基軸でこの順番になったのかは、存じませんがトップ20は以下の通り。
1.デンマーク
2.スイス
3.オーストリア
4.アイスランド
5.バハマ
6.フィンランド
7.スウェーデン
8.ブータン
9.ブルネイ
10.カナダ
11.アイルランド
12.ルクセンブルク
13.コスタリカ
14.マルタ
15.オランダ
16.アンティグアバーブーダ
17.マレーシア
18.ニュージーランド
19.ノルウェー
20.セイシェル

衣食足りて礼節を知る…の例にもある通り、経済的貧困と不幸度との相関があるのは容易に想像できますが、しかし、経済的な豊かさと幸福度との相関は殆どなさそうです。
では我が日本はと申しますと、何と178カ国中の90位。
出典:http://www.eurekalert.org/pub_releases/2006-07/uol-uol072706.php

木村秋則氏が穏やかでにこやかな表情で、誰にでも接する事が出来るのは、やはり現状が幸せだからだと感じます。

何に幸せを感じるのかは、人それぞれ。
絶対に、人との比較の中から生まれて来るものではありません。
自分の幸せについて、俯瞰して考えてみる良い機会なのかもしれません。

感謝の気持ちを持ちながら、多くの友達と共に出来るだけ健康で、出来るだけ長生きするのが、私にとっての幸せだと感じます。
更に、このような自問自答に対して、直ぐに答えを出せる事こそが、幸せな事なのでしょう。

最後にもう一つだけ木村氏の言葉をご紹介します。

「〜バカになるって、やってみればわかると思うけど、そんなに簡単なことではないんだよ。だけどさ。死ぬくらいなら、その前に一回はバカになってみたらいい。同じことを考えた先輩として、ひとつだけわかったことがある。ひとつのものに狂えば、いつか必ず応えに巡り合うことができるんだよ、とな。」



幸せとは…。


降りてゆく生き方|映画&総合情報 公式サイト
posted by 辻村謙一 at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年05月31日

“Public servant”

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あなたの大志や意欲を軽んじる小さな人々には近寄らないことだ。
小さな人々はいつもそうする。
しかし、真に偉大な人は、あなたもまた偉大に人になれるのだと、
あなたに思わせてくれるものだ。
【マーク・トゥェイン】


社会を構成するのは、個人(私人)と公民との2種類の人です。
更に、公民には公職選挙法に基づき、明確な意思と意図を持ち立候補し当選した(支持された)政治家と、公務員試験等を経た役人(公務員)とに大きく分けられます。
政治家は、どんなに権力を持ったとしても、選挙で落ちればただの人。
ところが、役人(公務員)は余程の服務規程違反等がなければ、ずっと役人(公務員)。
この違いは想像以上に大きいのでしょうね。


更に、役人(公務員)は市民の利益に資する(奉仕)活動を行なう事が求められており、今では殆ど目にする事もなくなりましたが、公僕と呼ばれています。
英語では“Civil servant”または、“Public servant”。

英語版のWikipediaにはこんな記載があります。

“A civil servant or public servant is a person in the public sector employed for a government department or agency.”

なるほど、明確だ。

更に“Servant”の意味は、以下の通り。
「使用人、家来、役立つもの、従業員、召使い、奉仕者、公務員…。」

公の利益を、最大化するために奉仕するのが、公僕である公務員の役割。

国旗を掲揚しない。
国歌を斉唱しない。

そんな“公務員”教師が服務規程違反にならないとしたら、服務規程そのものがおかしいと感じる。
いや、感じない方がおかしい。
それを、教師の自由裁量権とゴチャゴチャにして、反旗を翻す人もいると聞く。
そんな暇と労力があれば、子供達を日本のためにシッカリと働けるように、教育するエネルギーにすべきだと思います。

その前に、教師が公務員でなければならない理由が、一体どこにあるのだろう。
私はず〜っと、それが不思議で仕方ない。
教師は公務員でない方が、圧倒的に日本のためになると個人的には思う。

日本の教師が有能でないとは思わない。
日本の教師の能力を組織が生かしているとも思わない。

反省体質の日本人が、何でもかんでも海外の事例を参考にすべきだとは決して思いませんが、現状を認識するために、フィンランド以外の国にももっと目を向けて、事例研究をすべきだと思う。

いや、今は状況が少し違うか。

経済協力開発機構が昨年末に、65ヵ国の満15才の生徒47万人を対象に実施した「生徒の国際学習到達度調査」、いわゆるPISAの結果を発表したところ、不動の地位を確立していたフィンランドを追い越した国が出て来ました。
当該調査に初参加の上海が、読解・数学・科学の全科目で、圧倒的な点差で1位を記録しました。
上海だから国ではないものの、初参加でぶっちぎりの1位という結果が齎す衝撃は、相当に大きい筈ですが、どうも教育界はフィンランドに学ぼうという時と、同じモティベーションではないように感じます。
オカシイ。
もっと中国の事例も研究する必要があるに違いない。
いや、絶対にあると断言する。

こんな事を書くと、現役の教師がきっと反論する。
研究は十分にしています…って。

でも一部の方だけだろうし、多くの教師はそんな余裕もない状態です。
そして、本当に海外の視察を含めた研究活動をしていたとしたら、こんな不毛な議論は決して起きないだろうと確信します。
だって、このままではいけない…って思うに決まっているから。
日本の教師の働く今の教育現場は、きっとそんな感じ。

中国の教育事情に詳しい教育関係者は、残念ながらそれ程多くはない。
私は何度も、中国の学校の内部に入ってその現実を具に見て、教育の現場を肌で感じる経験をして来ました。
社会における学校の立ち居地と、教育のシステムとその徹底度。
更には、教員の質と姿勢と思想の違い。
不惑の強さと迷走の脆弱さと。

その全てを正しいとは思わないものの、教員が同じ目標を持って子供たちに教育的な対峙を行う事の、何と素晴らしい事。
子供たちの目の輝きが違う。
同じ学年の子供たちを国際交流させたら、その教育的成果の違いは殊更明らかになる。
驚くほどに。
私は過去に何度もこの現場に立会い、敗北感に打ちひしがれた。
そして、更に悲しい事にこの現実を前に、公務員の教員は事実から目を背け、常に不適切な言い訳を繰り返す…。

小学校ですら教員の多くが大学院を卒業し、学術論文の発表を行っている事実や、国立の学校の教員であっても、生徒募集に奔走し学校経営にも深く関与しながら、獲得した生徒を徹底的に面倒を見ているという現状に接し、日本の学校との余りの違いに愕然としたものです。

フィンランドショックという言葉が教育界から生まれたように、上海(中国)ショックという言葉が生まれなければおかしい(現状では、ストックの世界で既に使われていますが…)。
子供たちのためにより良い教育を受けさせようとするならば、フィンランドの時と同じように、上海からも学ばねばなりません。

今回、卒業式での国歌斉唱時の起立を命じた、都立高校校長の職務命令を、最高裁では合憲としました。
法治国家に於いて、司法部における終局の裁判として、この判断により結審されました。
憲法判断権を持っている機関の判断なので、教育関係者は内容をしっかりと精査して、重く受け止めるべきなのは当然にせよ、今回の判決で教師個人の思想は、国家国民のために主に子供たちへの教育を行うという、崇高なる国民全体の利益の前に於いては、重視してはならないとも言い換えられる。

主に教員の組合等からは“公教育への介入、教職員への思想統制”と反発を強めていたそうですが、そもそも国旗掲揚・国家斉唱に反対する教員や組織は、公教育の目的を達成していない。
公教育とは私教育の概念であり、私教育とは即ち学校法人等の認可された公益法人等が行う教育以外の教育的活動の事を呼称します。従って、根本的には公立の学校であれ、私立の学校であれ、文部科学省等に認可された公益法人の行う教育の事を“公教育”と言います。

私立の学校でこのような謀反は一切起きる筈がない。
職務規定違反は即刻処分の対象になるから…という低次元の話しではなく、教育の目的をもっと高次のレベルに設定しているので、国旗掲揚・国家斉唱は教育活動に組み込まれている、教育活動の一つだからです。
産業革命や市民革命を経て、近代社会が成立する課程において、一般大衆を国民として教化せしめる必要が生じた事に端を発する考え方が、公教育という考え方なので、学校に於ける教育活動の重要な一場面である式典等で行う、国旗掲揚・国歌斉唱の際に、自分の意見を通す大人の姿を子供に晒すのが、どれだけ国民として教化する事に寄与するというのだろう。

日本においては、教育基本法第6条の定めにより、法的に認可された団体のみが学校という呼称の使用を許可されます。
同時に、認可された学校は教育の政治的中立性の維持に努めるほか、国全体としての教育水準の一定を保ち、教育の向上を図ることが責務とされています。

因みにこの教育基本法第6条は、2006年の臨時国会に於いて改正案として審議され、成立しました。
以下の通りです。

改正案第6条(学校教育)
 法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体および法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
2 前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。

今まで国歌斉唱・国旗掲揚に無目的に反目していた教師は、個人の思想信条を行使し過ぎる余り、体系的な教育へ著しい弊害を齎している事に、気付かなければならない。
そもそも先生方が主張される思想信条が、国旗掲揚・国歌斉唱に断固反対する程に素敵なものだとは全く思わない。
子供たちに秩序を求めながら、自分たちでその秩序を乱すという範を、子供たちに披露(晒)して良いと思うのだろうか。

教師が最も大切にしなければいけないのは、自分たちは子供たちのため、社会のために働いているという意識です。
自分の思想信条を、小さなお城で守ったり主張したりする事ではない。

処分権の乱用にメクジラ立てる前に、職権を改めて再考しなきゃね。

反旗反歌公務員の先生方…。

個人権の乱用はやっぱり良くないですよ。

あなた方の行動を、子供達は具に見ていますよ。
あなたみたいな大人に、子供達になって欲しいと考えているのですか?
子供達以上に、公僕であるべきあなたの思想信条は大切なのですか?


第165回国会(臨時会)において成立した教育基本法
posted by 辻村謙一 at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年04月30日

“Cause-Related Marketing”

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いちばん大切なのは、「自分の腑に落ちる」ことです。
実現するのは自分なのですから、
どれだけ自分が「納得」しているかがカギなのです。
【枝廣淳子】



あれから、もう16年という月日が過ぎて行ったのですね。
確かに今の年齢から16を引くと、当たり前ですが震災当時の年齢にピタリと合致しますので、どう考えても間違いのない事実です。
阪神淡路大震災で、私たちは被災者となりました。
そして、漸く震災の話題もしなくて済むようになったかと思っていた頃に、今回の東日本大震災が起こりました。

今回の震災は、私は日本を離れていた時に起こりましたので、その事と関係があるのかないのかすらも分かりませんが、全く実感が沸かない状態で今に至っております。
勿論、各メディアが連日震災の事を報道しない日はありませんので、見聞きしてた情報を元に、正直実感は伴わず知識だけは増え続けている状態です。

近所の牛丼店の看板の夜間照明が3月中は消えていましたし、テレビに映るCMもACのホノボノしたものばかりだし、ボランティアに向かった方からは惨状の詳細な報告も何度もお伺いしましたし、耳年増になる程の情報は入手しているにも関わらず…です。

自分でも不謹慎だと思います。
しかし、取り繕った嘘の感想を述べても仕方がありません。
自身が体験した時との余りの違いに、それをどのように自分の中で咀嚼し、定義し、実感へと変容させて行くのか…という作業等が、まだ十分に出来ていないのだと感じます。

あの時の経験や場面を、未だに鮮明に思い出せる反面、殆ど忘れ去ってしまった事も、当たり前ですがたくさんありそうです。

さて、今回の東日本大震災を通じて、被災地との距離が相当離れていますので実感こそあまりないながらも、被災経験者としてたくさんの事を感じたり学んだりしています。

今回の大震災後について、同じ日本人として何が出来るのか。
また、何をなすべきなのか。
そのために私なりに出来るだけ広く情報収集を続けておりますが、その中でコーズ・リレイティッド・マーケティング(Cause-Related Marketing)という言葉を、何度も目にします。
コーズ・マーケティング(Cause Marketing)と略される事も多いのですが、特定の商品を購入する事により、その購買活動等が環境保護や社会貢献活動に繋がって行く、新たなマーケティング活動です。
ひと言で表現すると“慈善運動に関連したマーケティング”となります。
メーカーや提供者は、商品やサービスの販売促進活動とCSR活動を通じた、イメージアップが図られ、消費の促進等によるプラス効果があり、当該活動に於ける被受益者は、少しでも現状からの復帰のために不可欠な多少の援助を享受出来る。
消費者は、社会活動や社会貢献活動への参画意識が高まります。
しかし、そもそも基本的に社会貢献への参画意識が高い方が、購買活動を行うと予測出来ますので、マイナスがプラスに転じる訳ではなさそうです。
という事は、基点はやはり消費者にあると言えそうです。

このマーケティング手法に於いてはメーカー等からの働きかけに、消費者が反応しなければ何にも始まらない事になります。
即ち、慈善運動の主体は消費者にありながら、受益者は企業と保護や援助を必要とされる方にあります。
昨今の日本の企業も、特に株式を公開しているような会社では、社会的責任を無視して企業は永続的に活動する事がし難くなっています。
しかし、これとて必要に迫られて行う場合もあれば、自ら進んで社会の中での自らの企業としての立ち居地をしっかりと認知し、率先して行っている場合とがあり、同じ社会的責任の遂行であったとしても、その価値及び便益は著しく違って来るのでしょう。
逆に言うと、違わないとおかしい。

他方、このような事について思い巡らせる時に、メディア等からの情報を鵜呑みにして、自分の意見であるかのように勘違いするのは簡単であり、ありがちな事です。
その手の情報は巷間に溢れておりますし、情報の入手はどんどん容易になっている現状がその状態に拍車をかけています。
という事は、自分の意見を持つ事が難しくなっているとも言えます。

では、私なりの考えをどのようにすれば導き出せるのか。
かなり難しい自己問答です。

そして唐突ですが、主体と客体に分けて見ればどのように見えるのか、考えてみようと思いました。

客体とは、感覚を通して知ることができるものであり、いわゆる物である。
主体とは、感覚を受け取るものであり、意識である。

いわゆる主客二元論的な考え方(絵画的・文学的世界観として、特に欧州において“人間”の発見が視点を誕生させ、視点が“私”と“世界”の距離を生み、見る“私”と見られる“世界”の対立を起源とする、唯物論と対をなす立場)ですが、商業論自体がそもそも唯物論との整合性が高いと判断すると、趣旨にはある程度合致しているのかもしれません。

先の考え方を前提にすると、主客二元論的客体とは即ちメーカーや会社等の提供者側及び、商業活動を通じた利得を獲得出来る可能性のある、被災者及びその立場に準ずる方々だといえ、主体とは消費活動を行った消費者及びその立場に準ずる方々だといえます。

“自己と対象は、どちらも対象的自然。自己は、自己意識である以前に有機的身体、対象は非有機的身体。”*
という表現方法もあるように、自己とは意識を帯同した主体であり、対象とは企業や企業活動や社会活動そのもの含む客体であると言っても、決して過言ではなさそうです。

*「21世紀とマルクス−資本システム批判の方法と理論」大谷禎之介著 桜井書店より引用

その観点から、“慈善運動に関連したマーケティング”活動を調べてみました。

何事にも最初はあります。
では、どの会社の活動が最初だったのでしょうか。
1981年のアメリカン・エキスプレス社による“自由の女神修復キャンペーン”だとする説が一般的です。
既に30年の歴史がある活動なのですね。
このキャンペーンは息の長い活動だったみたいですが、ネット環境も整っていなかった時代には、非常にインパクトの大きな活動だったのでしょうね。

ユーザーがアメックスのカードを1回利用する毎に、1セントの寄付をするというシンプルなやり方です。
このキャンペーンの効果は絶大で、たった3ヶ月で170万ドル(当時の外為レートが240円程度だったので、換算すると約4億円)もの寄付金を集める事に成功したのだそうです。
何と、新規ユーザーは45%増し、利用回数も3割近く向上したとのデータが残っています。
この後も同社は、社会貢献型のキャンペーンを精力的に仕掛けていき、企業イメージと実利の向上に成功しました。
消費者が持つ、社会への問題意識を向上させるだけでなく、愛国心を上手に利用したのが成功の秘訣だと思われます。
新規顧客獲得と、既存の顧客の利用回数向上と、会社の利益の拡大をうまく循環させていったこの成功事例が、社会に与えたインパクトは果てしなく大きかったのでしょう。

アメリカに於いて、以下の会社が続々と同様の手法による活動を開始します。

*アップル・コンピュータ
*スターバックス
*デル
*エンポリオ アルマーニ
*Gap
*コンバース
*ナイキ
 and More・・・

これが近年、本格的に日本にも飛び火して参りました。
時は、CSR活動全盛期。
日本でのコーズマーケティング商品は以下のような例があります。

*アサヒビールは、アサヒスーパードライ1本ごとに1円の寄付。
*TBCグループは、エステの特別コース料金の一部の寄付。
*キリンMCダノンウォーターズは、ボルヴィックの売上の一部を井戸を作る費用に。
*メディエイターは、不要PCの寄付でスラム街の子供の通学費用に。
*ロッテは、コアラのマーチの売り上げの一部を「オーストラリア・コアラ基金」に。

他にも、大小さまざまな分野の企業が、当該活動を通じて社会活動に積極的に参画している現状は、おそらくは喜ばしい事なのでしょうが、どうも釈然としない事も多いのも事実です。
その会社の活動そのものを疑っている訳では、決してありません。

先に述べた、今回の震災のニュースを見聞きしても、正直一向に実感がわかないのは、実は私が被災経験者だからではないのか。
いつまで経っても、私は震災に関しては主体(即ち自己)であり続けるために、客体(即ち対象)にはなれないのではないか。
そう気付いた瞬間に、自分の中でモヤモヤしていた気持ちが、少し晴れたような気がしました。
そして、この社会活動に関して、素晴らしい循環のシステムだと知りつつ、釈然としないのは、主体が消費者(即ち自己)にありながら、その主体が経済活動を行った段階で、その役割は終焉を迎えており、他方、この社会活動は消費者(即ち消費した段階までは自己)の消費活動以降に、その本質が始まり、その本質が存在するために、その領域との意識・無意識の連帯がないからなのかもしれません。

そもそもCSRにも、米国型と欧州型と日本型があるように、このマーケティング手法を今以上に日本に本格的に定着させ、広めようとするのであれば、アメリカの成功事例を日本風にアレンジしてみるのは如何でしょうか。
私はその活動を仕掛けた事がないので、成功するかどうかは分かりませんが、釈然としない私の感覚を正しいと(厚かましいながらも)判断して、企業活動のその先を社会へと今以上に告知・報告する事でコミュニケーションを盛んに行い、主体である消費者と客体である企業と被受益者との距離感をグッと縮めさせ、結果的に益々その活動が活発になるのではないかと勝手に想像します。

安藤昌益先生も、凶作により多くの農民が餓えに苦しむ状況を目の当たりにし、『自然真営道』に“個々人が欲望を制限し、万人が生産活動に従事すること(「直耕」)”を説きました。
サービス・マーケティングとは根本定理のフレームワークは極めて近似ながら、少し毛色の違う“慈善運動に関連したマーケティング”活動には、この「直耕」の考え方が、不足しているように思います。

この素晴らしい活動が、我田引水的に企業の株価向上のためだけでない、当たり前の社会活動として今後も更に素敵に続いていけばと、心から祈念致します。

今回の被災者の皆様に於かれましては、まだまだ復興への道は長く険しいものだと、私も程度の差はあれ同じ被災経験者として、想像致します。
我々が何をなすべきかを自分の立場で謙虚に考えながら、常に謙虚に過ごして行きたいと思います。

そのためには、先ず正直にならなければ。
自分の気持ちに嘘を付かないようにしなければ。

そう思いながら、今回のブログをしたためました。


稿本 自然真営道
posted by 辻村謙一 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年03月31日

To Have or To Be?

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人生の意味はひとつしかない。
生きるという行為…それ自体なのです。
【エーリヒ・ゼーリヒマン・フロム】


昨年に引き続き、今年もワシントンD.C.に行って来ました。
参加者が違うだけで、目的も時期も同じです。

訪米の目的は、昨年同様に“グローバル・ビジネス・プロジェクト”のキックオフ・ウィークエンドに参加するため。
当該プログラムには、初年度から関与させて頂いておりますが、ファカルティ・アドバイザーの立場としては、二年目になります。
従って、主なメンバーとはすっかり顔なじみでありますし、プログラムの精査が進むと共に、求められるレベルも上がります。
と同時に、与えられるミッションも多くなっています。
日程的には11日〜13日までの2泊3日のスケジュールですが、実際には前日から主要メンバーによる打ち合わせへの参加も請われ、実質的には4日間の拘束が求められました。
そして、何と言ってもアメリカまでの距離が長い。
移動で前後1日ずつと、トランジットの関係で今回は更に1日、余計に日程を必要としました。
という訳で、1週間分の予定の調整が必要となりました。

昨年は伊丹の大阪国際空港からANAを使い、成田経由でワシントンD.C.に向かいましたが、今回は友人の勤務する大韓航空を利用させて頂く事にしました。
友達って、本当に有り難いものです。
極めて迅速に且つ丁寧な対応をして下さいます。

大韓航空には、関西国際空港からワシントンD.C.への直行便はありません。
一旦、仁川国際空港にて翌日の便に搭乗すべく、トランジットを必要とします。
大韓航空を使ったトランジットは、今まで何度も経験しています。
しかし、大韓航空であれ他の航空会社であれ、乗り継ぎの際には数時間の待合はありましたが、今回のように翌日の便に乗り継ぐのは初めての経験でした。

ソウルまでは、夕方の便で約2時間のフライト。
けれども現地に到着して翌朝まで、何もする予定がない。
頭に浮かんだのは、3年前に韓国で物凄くお世話になった方に、再会出来ないものか…という事。
事前にメールで連絡を取りましたが、どこのホテルに宿泊するのかが明確でないと時間の都合がつけ難いので、ホテルが分かったら連絡して欲しいとの返信。
そりゃ、そうですよね。
でも、本当の意味はソウルに到着してからでないと、分かりませんでした。

基本的にトランジットの場合には、ホテル代は航空会社持ちだそうです。
そして、どこの空港にもターミナルの近くにホテルが点在していますが、そのホテルを利用するのが原則です。
しかし、空き部屋がなければ当然別のホテルに振り分けられます。
という訳で、どのホテルになるのかは、仁川国際空港に到着した後、空港のカウンターで初めて分かるのです。
空港近くのホテルには、パイロットや客室乗務員等も利用しますので、意外と稼働率は高いのかもしれませんね。

そして、ソウル市内から仁川国際空港までの距離は、実はそれ程近くない事に到着後に気付きました。
タクシーで移動しても約1時間かかります。
どのホテルになるのかが分かったのが21時頃。
彼に連絡してわざわざ来て貰っても、僅かしかお話しをする事が出来ませんので、今回はお電話にてお話しをさせて頂くだけにとどめ、別の機会に再会する事にしました。

ソウルはコンパクトな町だというイメージ。
ソウルは飛行場から市内まで近いというイメージ。

どちらも現実とは違っていました。
小さいといってもソウル特別市は、神戸市の約1.1倍の広さがあります。
神戸市も端から端までの移動には、1時間という時間が必要です。
その面積に、1千万超の方々が暮らす町です。
神戸市は155万弱の人口なので、ソウル市は人口密度も遥かに濃いので、渋滞も深刻でしょうし。
更に、市内まで近いのは金浦空港で、仁川国際空港とは違います。

間違ったイメージが、私の記憶を支配して、大きな勘違いをしてしまいました。
知り合いからの提案は、実に的確でした。

寂しく過ごしたのは仕方ないにせよ、韓国でホテルに幽閉状態でしたが、それなりにゆっくりとした時間を過ごし、翌朝のフライトでワシントンD.C.に向かいます。
昨年の出張では、人生初のビジネスクラスを片道だけでしたが、体験する事が出来ました。
衝撃的な経験でした。
この手の体験は、一度してしまうとどうしても次回からは、リクエストレベルが上がってしまいます。
自らの中ではチケット発券の手続きをする前には、かなりの葛藤がありました。

分相応なエコノミーで行くべきだ。
いやいや、二度目となると多少の贅沢を言っても許される筈だ。

どちらもそれなりに説得力がありましたのでかなり迷いましたが、最後は到着後の仕事の質と疲労度との相関から無理やりですが、疲労度が少ない方が全体を考えるとメリットが大きい筈である…との半ば強引な結論を導き出して、ビジネスクラス(プレステージクラス)をリクエストさせて頂く事にしました。

贅沢は、禁断の蜜の味だなぁ…やっぱり。

機中では、当たり前ですが実に快適。
映画はそれなりに大きな画面で見る事が出来ますし、本もたっぷり読めますし。
仕事の準備もやっぱり進みます。
この環境で仕事が進まない方がどうかしています。
だから、ビジネスクラスなんでしょうね。

さて、14時間のフライトを終え、ワシントンD.C.はダラス国際空港に無事到着する事が出来ました。
しかし、到着後直ぐに入管でやたら時間がかかり、荷物の検査も何故か行われたという、昨年経験した嫌な記憶が甦ります。
ところが、今回は極めてスムーズに事が進みます。
イミグレでは極めて恰幅の良い黒人男性が、にこやかに話しかけて来ます。
昨年は、10本全ての指の指紋を登録したのですが、今回は右手の親指以外の4本指で終わり。
昨年のデータと符号したのでしょうね。
作業を進めながら、こんな事を聞かれました。

“あんた、科学者かい?”

初めてそのような見立てをされた事に、最初はその言葉を聞き間違えたのではないかと、耳を疑いました。
日本では決して科学者に間違われる事はありませんでしたが、ところ変われば…という事なのでしょうか。
それなりに一年間、英語と取り組んだ成果が現れたのかどうかは存じませんが、問い掛けも何とかクリア出来たので、幸先が良いぞ…と自画自賛。
その後、荷物は当然とっくの昔にレーンから外されていましたし、今回は荷物チェックも無し。
呆気ない程スムーズに入国が出来ました。
機械的な認知ですが、やはり一度目と二度目とでは扱いが違うのでしょうね。
リスクを管理(回避)するためには、信用が必要であり、信用には実績が必要だという事でしょうか。

到着後も、休む間もなく夕方から始まるホテルでの会議に、参加しなければなりません。
久しぶりの訪問ですし会議の冒頭では、長らくご無沙汰していた関係者の先生方に面会が出来た喜びを、素直に言葉にして表現する事にしました。
会議終了後は、時差ぼけ解消のために、さっさと床に就く事にします。
ところが、気が立っているのか、眠りも浅く現地時間の午前3時頃に目が覚めてしまいます。
特にする事もないので、目の前に霞のかかったような状態でテレビをつけて…ビックリしました。

日本で地震が起こった驚天動地の大震災を、ニュースで知る事になりました。

どうなっているのだろう…。

気にはなるものの、テレビとネット以外に情報収集の手段がありません。
どれだけの規模なのか、被災された方の数は何人位なのか等々、全く分かりません。
画面に釘付け状態で、ずっと東北地方の現状を伝えるニュースから、目が離せずに過ごしました。
アメリカでも、日本で起きた震災関連のニュースを取り上げる時間が、日増しに増えて行きました。
多くのメディアがニュースの時間等で、震災関連のニュースを放映していましたが、その殆どがNHK WORLDの動画の二次利用です。
最初の日には、アメリカ領であるハワイ島に何時頃、アメリカの西海岸には何時頃という、TSUNAMIの到達予測時間を伝える事が多く、二日目にはTSUNAMIの威力の大きさを、そして原子力発電所が爆発してからはその被害が中心となりました。
興味深かったのは、ウクライナの特派員へのインタビューが何度も流されていた事。
チェルノブイリか…と気付いたのは、暫くしてからの事でした。

今回は滞在中、拘束時間が昨年以上に長く、殆どホテルとジョージ・ワシントン大学に缶詰状態でしたが、それでも多くの方が日本の現状を憂い、励ましの言葉を掛けて下さいました。
大学関係者のみならず、昼食を買いに行った“SUBWAY”の店員の方からも、食材を調達しに行った“TRADER JOE'S”のレジの方からも、タクシーの運転手からも…です。
幸い私や私の身内は被災していませんので、冷静にその励ましの言葉を受け止める事が出来ましたし、有り難さも十分に感じる事が出来ました。

恥ずかしかったのは、ノースリッジ地震の話題になった時です。
話しをなさっている方が何の事を仰っているのか、理解するまで暫くの時間が必要でした。
我々が被災した丁度一年前の同じ日に起こった、ロサンゼルス地震の事だと直ぐに気付かなければいけなかったのですが。

知って頂く事はとっても大切ですが、私も自身が経験した震災を伝えるだけでなく、他の方の痛みも忘れないようにしないといけないと、強く悔いると共に反省させられました。

アメリカでの仕事を全て終えた後、日本に帰国したのですが、到着したのは当然関西国際空港。
出発前と全く同じ穏やかな状態にホッとすると同時に、何故だか申し訳ないような気持ちになったのは、私が平成7年に震災を体験したが故なのか。

被災者の皆様は暫くは、落ち着かない日々をお過ごしになられる事と思います。
生きる事に必死で、日々の生活が不安定な状態が続きます。

いわゆるライフラインが、正常に機能している事の有り難さ。
人との強い関わりや、助け合いの尊さ。
有事にも冷静で秩序正しい日本人でいる事が、誇らしく感じる事も多いと思われます。

暫くすると、徐々に生活環境が整うと同時に、政府からの緊急支援策も次々に打ち出され、それが実に有り難く機能する筈です。
神戸では3年が節目だったのですが、被害が甚大な東北地方であっても5年もすると、町の様子は一見元に戻ったかと思うほどに、復興するのではないかと想像します。
しかし、本当の意味での復興は、それ以降に始まると思います。
その時を見据えて、我々に出来る事が何であるのか。
小さいながらも、お役に立てる事があるとすればそれは何なのか。
被災経験を生かすためにはそれらを模索しながら、少しずつ準備が出来ればと思います。

石原都知事が言うように、今の日本の社会では“我欲”が強くなり過ぎていると私も感じます。
それを今回の震災を契機に変える事は難しいとは思いますが、問題として意識したり提議するチャンスであるとも思います。

事実、震災で多くの家屋は失われました。
しかし多くの日本人は、民族としての誇りまでは失っていません。
これこそが、何者にも代え難い我々日本人の貴重な財産であると確信しています。

エーリヒ・ゼーリヒマン・フロム氏の説く、“To Have or To Be?"「生きるということ」(邦題)にあるように、持つ生き方ではなく、どうあるべきなのかが、今後も強く求められるのではないかと、被災地から離れた場所からではありますが、改めて強く感じております。

未だ行方不明者が多くいらっしゃる被災地の現状に、被災者の方々のお気持ちを考えるとどのような言葉をかけるべきなのか、正直なところ言葉が見つかりません。

この度、被災された方々に於かれましては、希望を失わずに一日一日をどうか大切にお過ごし下さいますよう、心よりお祈り申し上げます。


東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)情報サイト
posted by 辻村謙一 at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記